2018.10.25 Thursday |
2016年10月25日 Facebookに記したものを転記した。
尚、このカフカ論はの中でカフカに触れたパラグラフの続きでもある。
前記カフカ論相当部分(【注視2――闖入者の視線のすべり//カフカ(「城」)】から)
そうしてまた、
4,5年まえに カフカ「城」を読んだ時、もっとも印象に残ったてはいたが、blog記事にする際にはテーマから逸れるため、置いておいた 同長編小説中盤の数頁。
気になり続けていたが、そこにかかれていた「意味」をまだ探っていなかったが、今読むと機が熟している気がした――。
程なくその箇所は見つかったけれども、空白時間も長く、しばらく意味をのみ込めずにいた...。
入念に前後の場面をあたるうち、およその構造は、つかめてくる。
到達不能——届きそうで届かない...——という世界真理をめぐる未完の長編だが、ここまではほぼ、他所者=異邦者=『招かれたはずの/招かれざる』闖入者、として生きた主人公Kの意味が、少し変わる。
それは何だろうなと思っているうち、主人公Kの意味が、中編部以降からは しだいに 闖入者から奇襲者 へと遷り変わる時間が、つづられ始めているのに気づく。
闖入者にとって、異邦人であることを余儀なくされつづける、無辺の外部性——傍らを離れることなく何処までも付き沿われるのを感じ、あきらかに〈このもの〉を巡っているのだということを知っていながら、それ自身へはけして近づくことの出来ぬ、という あまりに馴染みぶかい——存在真理。
それがたしかに、城を巡る一貫したメサージュにほかならなく、じっさいこの終わりなき語全体に、Kの迂遠な非-到達としての異邦者・闖入者たる奇異性と、延々たるはぐらかしの刑の描出テーマ、超越的なものへむかうその隙間への、執拗な投企と挫折の連続体が綴られ、主人公の城への受け容れられなさと力関係を物語りつづけてはいるのだが、
ここへきて——
”ふとした隙”に(そう、はからずも闖入者が奇襲者となるとき、とは、
この二重拘束——あまりに人間的——の真理が、圧倒的な驚愕と、
にふちどられつつ、きわめて表徴的に物語られていた。
(*...の部分はみな、人間くさいと同時にあまりにも哲学的-存在論的でもあるといえる...。)
【補足】
面白いことに、また ちょうど<ここの部分>こそは、官僚主義についての滔々たる描写ともとれる全編のにおいのなかで、単なるそれにとどまらず、その官僚主義なるものとは畢竟 恣意性にも癒着せざるをえない——独裁(専制)政治とも繋がるのだ——というかの告発性、カフカにしては抗議に満ちた意味深長な暗示にも満ちている点だった。
というわけで
これまで、滑稽なほど忍耐強い迂遠さのほうにしか興味が届かなかったが、この懶惰な【裏道】にかんする作者自身の洞察の鋭さと、その奇襲性の描出(状況論的切迫感)とは、この作家をマニエリスム文学に属させるにはあまりに諫言的かつ凄絶なものがあった。
辻瑆氏翻訳の河出書房新社版で読みましたが、どのかたの翻訳でも「城」の<ちょうど中盤>に相当する数ページです。どきどきわくわく部分 笑)おすすめします