選挙と選挙報道について――恥ずべき選挙?
8年前と 2年前の投稿
全く変わっていない もっとひどくなってる
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2016
という論にも首肯できないし、
という暴論にも首肯できない。
問題なのは、民主主義の土台となる(違う立場とも)ディスカッションをし知識や思い込みを補正するに足る情報、多方向からの物の見方、思慮の行き交う懐の深い土壌がそもそも教育にも社会にもないことと、これを交通整理しつつ基礎的素材をできるだけ高い透明度で提供するべきメディアの機能が不全なことで、この失点がやはり大きすぎる。
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2022
もともとこのような土壌だった日本の民主主義と立憲主義の、タテマエをさえ嫌い、敵意を丸出しにしていた人が銃弾に倒れた。
という総括が ショックな事件と選挙の投票行動との狭間に立たされる今、必要となっている。(↑ 当時首相だった人のこと)
暴力とは何か。
民主主義と立憲主義を建前化するはおろか、その建前をさえ砂上の楼閣化することを望むかの思想‥。
その姿勢の下、昨今実際着々と既成事実化されてきたのは、「報道により争点隠しがおこなわれる選挙、投票時間の繰り上げが各自治体任意(?)で行われてしまう選挙」であるのはおろか、「選挙(があること)そのものが隠された(い、かのような)選挙」なのであっては、そもそもこうした選挙そのものを有効と認めることができない。このような選挙結果を国民・有権者の声と見做されるのを首肯する訳にはいかない。
つまり、民主主義の土台を存続させるかそうでなくさせるかということを決める選挙であっても、まだその民主主義の土台が損なわれていない、という最低限の民主主義の前提も「すでに」無し、ということになっているのでは、そもそもこうした選挙そのものを有効と認めてはならない。
こういう見解が、たとえば弁護団あたりからも、もはや出てこなくなってきた世の中...
このような惨憺たる様相‥。
もちろん、投票に仕掛けられた色々な屈折率・ゾンビ復活当選等歪みの問題等々も然り
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