心理学ガール #34
レディオアノット
僕は心理学部の大学4年生。ここは大学本部棟の心理学研究室。サキナさんと話をする。
僕「最近は、催眠理論のレビュー論文を読んだりしているんです。それを読んで思うことは、催眠は複数の違う現象を“催眠”としているのかなって思うんです。そうだとして、僕は催眠のどの部分に興味があるのかなって考えているんです」
サキナ「以前、私も同じようなことを言っていたと思う。催眠は、主観的な部分を無視すれば、掛かり手が、掛け手の提案のとおりに行動するというものになる。その要素だけを考えれば、ざっくりと教育や説得などと変わらない。こういうと、催眠で起きる行動は特殊なものだという批判がくるかもしれない。しかし、主観的な部分を除けば、運動コントロールでいえば、体を動かすことも動かさないことも特殊ではない。また、感情や感覚のコントロールでいえば、持っていない感情や感覚を感じるわけではない。幻覚にしても、人間が本来持っている能力が発揮されているものだろう。記憶コントロールでいえば、健忘や錯誤なども日常で起き得るものだ。つまり、催眠で起きる行動で特殊であるものはほとんどない。そうすると、催眠の特徴は、掛かり手の主観によるものとなる。とすれば、人の意識とはなんなのか、あるいは自身の行動に対する認知の仕組みを調べると、催眠を理解するヒントがあるかもしれない」
僕「今の説明を聞いて、すっきりしました。催眠の特徴は、掛かり手の主観にある。そう考えると、通常において運動、感覚、感情、記憶が発生するメカニズムを知るとともに、それらを主観的に感じているメカニズムを知って、催眠はそこに介入する方法だという仮説を立てて調べていくとおもしろそうです。とはいえ、今ある催眠理論もある程度そこは前提としているんですよね。無意識理論は、反証不可能だとしても行動と主観との相違を無意識で説明しようとしたものだし、新解離理論やコールド制御理論も解離やメタ認知という概念で、行動と主観の相違を説明しようとしたものではあるんですよね」
サキナ「そうだね。私が思うのは、催眠を説明するために新たな理論を作るのではなく、運動、感覚、感情、記憶などに関係する心理学などの基礎理論をベースに催眠を理解する方向で考えてみるといいかもしれない。また、各種行動のメカニズムと、それを発生させるための方法をある程度切り離してみる必要もあると思う。つまり、催眠現象の理論と催眠誘導の理論を別とするってこと。後者は説得心理学や心理教育などの方法論を調べるか、これはある意味正解になってしまうが、行動分析を用いれば、催眠行動を引き起こす方法論は説明できる。説明できるというか、行動分析は、催眠行動を含めた人の行動を記述、予測及び制御するための方法として現状選択し得る最適な方法である」
僕「各催眠行動のメカニズムと催眠行動を引き起こす方法を分けて考えるとして、ある程度はメカニズムと誘導方法は関係あるじゃないですか。例えば、いわゆる権眠状態はないのだから、催眠状態を引き起こすとされている方法、凝視法、回頭法、頸動脈圧迫法などは、本来、効果のない方法じゃないですか。僕はそういう方法がなくなってほしいと思っているんです」
サキナ「効果のない催眠誘導がなくならないのは二つの原因がある。一つは、比較されないから。例えば、凝視させる方法と凝視させない方法で、催眠行動が起きるかどうかを比較する人がいない。凝視させてもさせなくても催眠行動が起きる割合は変わらないとしても、誰もそれを確かめない。これは百歩譲って凝視が催眠行動を起こす効果がないのなら、使用してもしなくても変わらないが、場合によっては、催眠現象の発生を阻害している方法もあるかもしれないのが問題だろう。もう一つは、効果がなくてもそのコミュニティで効果があると信じられている方法は、メカニズムとは関係なく効果を発揮する場合があるということ。凝視させることが催眠を引き起こすという共有された信念が催眠を引き起こすことがある。メカニズム的には効果がなくても信念として効果を持っている方法はあるかもしれないし、掛け手がそれを感じている可能性もある。いずれにせよ、催眠自体がコミュニティの中で作られている社会的現実である部分があるから、それを変えることはむずかしいだろう」
僕「催眠のコミュニティにおいて構築される催眠という現実について、フィールドワークしてみると面白そうですね。それについて知ってそうな人に心当たりがあるので、今度聞いてみます」
サキナ「私も少し興味がある。今度どんな話だったか教えてほしい」
僕「わかりました。今日はありがとうございました」
僕はサキナさんと別れて学生会館へ向かった。