心理学ガール #29
ふち
僕は心理学部の大学4年生。ここは学生会館2階のいつもの席。今日も僕はハルちゃんと催眠について話をしている。
ハル「先輩。催眠愛好家の人から、催眠は神経科学で説明できるっていわれたんです。なんか、『自由エネルギー原理」、『子測符号化理論』という理論らしいんですけど、先輩はどう思います?」
僕「前にも少し話したけど、心理学も神経科学も人間の行動を理解しようとする学間という意味では共通している。心理学はその原因に“心”という概念を仮定し、神経科学はその原因に“神経”という器官を仮定しているところで大きく違う。だけど、心理学が扱う心という概念は神経的基盤に対応する部分もあるし、逆に神経科学が扱う神経という器官は直接的に測定するには限界があって、実際には神経の機能を概念化して取り扱っていたりするから、結果として、同じような研究になっていることはあるね」
ハル「心理学と神経科学は近い領域ってことですね」
僕「そうだね。実際に『予測符号化理論』を用いた心理学的研究もあるみたいだけど、僕は神経科学の詳細な研究は知らないから、その催眠愛好家がいうことについて言及はできないかな。けどせっかくだから、少し一緒に勉強してみようか」
ハル「はい!」
僕「まず『自由エネルギー原理』からかな。ネットにある論文等を少し読んでみよう……。うーん、ざっくりいうと、『脳は内部モデルを持ち、観測データと予測データの差を最小にするように内部モデルを更新する原理がある』ということなのかな。すごく大きな原理みたいだね。神経科学だから、当然、この原理を導くデータがあるんだろうけど、この原理自体は概念的だよね。内部モデルは構成概念だし。そうすると心理学的なものに近いという印象。その上で、この原理を使って、どの程度、人の行動の記述というか説明が付いて、どの程度、人の行動の制御ができるのかなって思う。具体例が欲しいところだね」
ハル「わたしは神経科学に馴染みがまったくないので、何を説明しているかわかりません。だけど、内部モデルが構成概念だし、理論も概念的といわれると、なんかほっとします。わたしはやっぱり心理学の人間なんだなって」
僕「きっと構成概念を扱わせたら心理学が一番じゃないかな。そういう意味では、この内部モデルという概念を心理学的に研究するのはおもしろいかもしれないね。けど、考えてみれば、内部モデルは認知心理学でいうところの“スキーマ”と近い概念だよね」
ハル「スキーマはわかります。経験によって作られた物事に対する概念的知識ですよね。人は、そのスキーマを使って事象を理解するという考えだったように思います。確かに内部モデルとスキーマは似ていますね」
僕「自由エネルギー原理でどう催眠を説明するのかわからないけど、催眠内部モデルを仮定するのか、あるいは現象ごとに、例えば腕浮遊であれば運動に関する内部モデルを更新させることを催眠と説明するって感じなのかな。そう考えると、催眠という現象を自由エネルギー原理で説明することは可能なのかもしれないね。ただ、催眠を概念で説明するだけなら、念力でも説明可能だからね。説明できることよりも、いかに予測・制御できるかってところがポイントだと思うんだけど、そこはどうなんだろう」
ハル「先輩は予測と制御にこだわりますね」
僕「心理学として大事にしたいところだからね。単純で合性があって、反証可能性があって、検証では実証性と再現性があるものが科学だと思う」
ハル「先輩、ちょっと難しいです」
僕「ごめん。だから、自由エネルギー原理でどう催眠を説明するかわからないけど、例えば、観測データと予測データの差を最小にするという原理に則った催眠誘導があったとして、その説明に合性があって、反証することができて、実証する方法があってかつ再現性があれば、それは催眠が説明できるってことなんだと思うけど、僕はそれらを知らないから、わからないとしかいえないかな」
ハル「そうですね、もっと調べてみないとわからないですね。だけど、わたしは優先すべきは心理学なので、神経科学はいずれどこかでって感じです」
僕「神経科学もおもしろそうだよね。さて、今日はここまでにしよう。『予測化符号化理論』は、またそのうちにでも」
ハル「はい。ありがとうございました」
ハルちゃんは出口に駆けていった。