心理学ガール #05
あれとあれ以外のもの
僕は心理学部の大学4年生。ここは大学前のバス停。ベンチに座ってバスを待ちながらハルちゃんと話をしている。
僕「その後、催眠の勉強は進んだ?」
ハル「そうですね。心理学としての催眠ってどうなんだろうと思って、大学の図書館で専門書を探してみたんですけど、古い本が多いし、そしてちょっと難しいです」
僕「確かに、日本で催眠の研究が盛んだったのは、少し前のことかもしれない。今日は催眠の定義の話をしようか。ハルちゃんは、催眠をどう定義してる?」
ハル「改めて”定義”って聞かれちゃうと、なんだか困っちゃいますね。わたしが読んだ本には、催眠には統一的な定義がないって書いてありました」
僕「統一的な定義はないかもしれないけど、考え方というか、捉え方の違う催眠の定義が何パターンかあると思う。『催眠は統一的な定義がないから、そんな話をする必要がない』みたいなことを言う人もいるけど、対話をするなら言葉の意味をお互いに確認する必要がある。それを端的に表せば、言葉を定義するってことだと思うんだよね。それに正解を求めてるんじゃないんだ。対話のために使う言葉の意味を整えると思ってほしい」
ハル「はい。えっと……。わたしは『催眠は、催眠誘導によって催眠状態にされた人に対して暗示をすると、その人の意思とは関係なく暗示のとおりに行動してしまう現象』とします」
僕「ありがとう。ハルちゃんの催眠の定義の中には、”催眠誘導”、”催眠状態”、”暗示”そして”意思と関係ない行動”が要素としてあるね。それらが全て揃ったとき、その現象は催眠であるという考えでいいかな?」
ハル「はい。そうですね。」
僕「前回、金縛りの話をしたよね。金縛りは、催眠の要素でいう”意思と関係ない行動”だと思うんだけど、それ単体で起きた場合は催眠ではないということでいいかな?」
ハル「そうですね。だけど、以前、催眠の集まりに行ったとき、ある人が『催眠は日常に溢れている。幽霊を見るのも催眠だし、そもそも人は常識という催眠に掛かっている』と言っていました。そう考えると、催眠ってわたしの考えているものと違うものなのかも」
僕「その人は、意図しない行動や反応、意図せずに身に付いてしまっているものを催眠と定義しているんだろうね。それって、例えば、”雪は白い”に対して”白ならば雪だ”と言っているのに似てるよね。つまり、”催眠は意図しない行動をする”に対して”意図しない行動ならば催眠だ”みたいな」
ハル「あっ、そうですね。それは違和感がありますね」
僕「対話をするなら、限定的な定義の方がいいから、ハルちゃんの定義から出発して話を広げていこうか。暗示から話そうか。暗示はどう定義する?」
ハル「暗示は”暗に示す”ってことです」
僕「それじゃちょっとわからないな。具体的に暗示してみて」
ハル「えっと……『あなたのこぶしは開きません』みたいに言います」
僕「それって暗に示してるっていうのかな。具体的に言っていると思うけど」
ハル「わたしも、暗に示すってことがよくわかってないです」
僕「例えば『あなたはこぶしを開かないでください』は違うってことだよね」
ハル「それは命令とか指示ですね。暗示ではありません」
僕「そうか。”開きません”という言葉には”開かないで”という意味が含まれているように思うけど、直接には言っていないから暗示ってことなのかな」
ハル「そうなのかもしれません。その人にこれから起こることを断言するような形で言うのを暗示として扱っている感じでした」
僕「なるほど。暗示は、声に出さなきゃダメなのかな? 例えばジェスチャーとか、ホワイトボードに文字を書いたりとか、録音した声を聞かせたりとかは暗示になる?」
ハル「あっ、それは大丈夫です。ジェスチャーは非言語暗示という立派な暗示ですし、ホワイトボードに書いた文字で催眠をしているのを見たことがあります。録音も催眠音声というジャンルがあって、録音された催眠誘導や暗示を聞いて催眠を楽しむ人がいるみたいです」
僕「そうなんだ。色々あるもんだね。じゃあ、暗示ってのは、催眠に掛かる人に対して、意図が伝われば方法は問わないけど、その内容は”意思と関係ない行動”が起きることを予測・予言するものであるってことかな」
ハル「なんかそれでしっくり来ました」
僕「よし。少し催眠ってのが何なのか明らかになってきた感じがするね。と思ったらバスが来ちゃった。どうだろう。駅まで行ったらスタバでコーヒー飲みながら続きを話さない?」
ハル「わたしは大丈夫ですけど、先輩は予定とかないんですか?」
僕「うん。大丈夫。コーヒーは僕が奢るよ」
ハル「やった! ぜひついて行きます!」
僕「オッケー。じゃあ、とりあえずバスに乗ろう」
僕とハルちゃんは、バスに乗り駅へと向かった。