周回遅れの人生
先日近所の本屋に立ち寄ったとき、飯村大樹さんの『サッド・バケーション』というエッセイ集が目に止まり、思わず手に取っていた。今年に入ってから会社を休職していた私は、まさしく悲しい休暇中であった。これは今読むべき本ではとすぐに購入した。
仕事から離れて、まずはひたすら休み、よく食べよく眠る。心身共に回復してくると、急に頭がクリアになったと感じた瞬間があった。読書家ではないが、急に本がサクサク読めるようになった。映画を1日に何本も観れるようになった。もともと脳みその容量が少ない私にとって、仕事がなくなるとそれはもうスポンジのようだった。休職を人事に相談したとき「今疲れている状態だからまずは休もう。それから色々考えよう。」と言われたことがよくわかった。
母に休職ことを話すと「いつでも帰っておいで」と言ってくれたので、半月ほど帰省することにした。こんなに長く滞在できたのは学生時代以来だった。大人の、人生の、夏休み、私のサッド・バケーション。
帰省には、着替え諸々のほかに、パソコン、勉強道具と、本を何冊か持っていった。たまたま読んだ漫画で、主人公が「眠れない夜は本を読むといいよ」と言っていたので、そうすることにした。『サッド・バケーション』はカバーのない文庫サイズで軽く、お供にぴったりだった。旅はいかに身軽であるかが重要である。
実家はとても田舎なので娯楽はほぼなく、予定もほとんど入れなかったので、豊富な空き時間には、持っていたパソコンで文章を書き、映画を観て、本を読む、勉強をする。都会にあふれている情報を一切遮断した生活は、自分に錆び付いていた無駄なあれこれを綺麗に削ぎ落としてくれた。坐禅をやったことがないけれどこういうことかと思った。
寝る前にページを開いた『サッド・バケーション』はあっという間に読み終わってしまった。ふと襲いかかる不安や負の出来事に対する心の弱さであったり、自分を取り巻く世界を俯瞰した文章は、今の自分を代弁してくれているようで、数行進むたびに心の中で「わかる〜!!」と叫んだ。
帰省からの戻りは母の用事に合わせて車に乗せてもらい、最寄りの駅から一緒に電車に乗った。母の用事先まで1時間程、車内で色々な話をした。人生の浮き沈みは誰でもあると思うが、私は世にいう厄年に見事に当てはまっていた。そして今も厄年だった。沈むたびに「なんで自分はこんなにも不器用で、生きるのが下手なのだろう」と悲観する。だけど、『サッド・バケーション』を読んでなんだかとても心強かった。自分とは正反対の、常に自信満々で何事にも積極的で活発な人を想像したときに、それは自分の理想像ではないなと思えた。人生の転機、色々振り出しに戻ってしまう。年齢的な焦りもあるし、悔やむことはないと言ったら嘘である。もっと効率良く、寄り道や遠回りをせずにまっすぐに進んで来れたらよかったのにと思う。不安だらけであるが、時間は待ってくれない。人は考えて悩んで、時につまづいて生きていくものなんだと思わせてくれた本だった。
ちなみに、青山真治監督の『サッド・ヴァケイション』は私もまだ見たことがないので、折をみて拝見したい。
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