見出し画像

おつかれ乾杯

 仕事が終わって、ふうっと一息ついたときに、そういえば、1月27日は父の誕生日じゃないか、ということを思い出した。わたしが17歳のときに、45歳で亡くなったから、そうかそうかーー。

 17歳のわたしに「好きなことしたええ」と言った父の言葉は、それ以来わたしの真ん中で大事に大事に温め続けている。高校卒業後に上京した、関東には父の同級生たちが住んでいて、せっかくだからと「県人会」なるものを発足し、四半期に一度くらいのペースで集まっては美味しいご飯をご馳走になっていた。

 父と同い年の大人たちとご飯を食べながら、今のわたしが父とご飯を食べるとこんな感じなんだろうか、何を話すんだろうか、なんて考えてもわからないことばかりだけど、「県人会」はまぎれもなく父を中心に集まった人たちだった。そもそも父はビールをコップ1杯も飲み干せないほど、全くお酒が飲めなかったのだが。

 「お酒はハタチになってから」というが、わたしの家系の酒事情は両極端だった。父とは反対に母は酒好きで、母方のおじいさんは昼間からお酒を飲んで「水や、水。飲んでみるか?」と幼い孫をそそのかす悪い大人だった。(何度か騙されて飲んでしまい、母のところへ行って泣いた。時効ですが。)

 さて、わたしはどっちの血なのか。父方か、母方か。当時今よりもガッチガチにプライドを固めていたわたしにとって、お酒の何か怖いって、酔っ払って、自分の醜態を晒すことだった。大学で入った音楽サークルには、酒癖の悪い人が多くて、その姿を見ると「ああはなりたくない」と思い、お酒が飲める年齢になっても、しばらく自重していた。なので、飲めてもカシオレ1杯とか、これ飲む意味あんの?という量だった。

 お酒初心者のステップアップコースあるあるとして、まずはカシオレ、カルアミルクあたりのカクテルからスタートし、次に梅酒、そしてカルピスサワー、ゆずはちみつサワー、白桃、巨峰とジュースにちょっとアルコール入った奴らと、段階を踏んでいく。そしてその次にくるのが、ビール。突然の苦い泡である。この壁がなかなかしぶとい。飲めるようになった楽しいだろうなと思い、たまに欲しくもない缶ビールを買って飲んでみるものの、一口でやっぱり美味しくないということを繰り返したりして、なかなか突破できずに諦め掛けていた頃、ひょんと転機が訪れた。

 大学を卒業し、今の会社に入ったばかりの頃、初めて、仕事終わりに職場の先輩2人と飲みに行くことがあった。先輩2人と一言に言ってしまったが、自分よりふたまわり以上年上のおじさんと(大先輩)、5歳くらい上の女性スタッフ(先輩)、とペーペーのわたしという不思議なメンツだった。
 最初の注文の際に「わたしまだビールが苦手で・・・」と話すと、大先輩が言った。
 「ビールはね、こうやって仕事終わりに、お疲れ〜乾杯〜!って飲む最初の一口が一番美味いんだよ。この美味しい瞬間を繰り返していくと、いつでも美味しいって思うようになるよ。」
 この言葉がなんだかしっくりハマって、これが大人になるってことなんかなんて思ったりもした。

 大先輩に言われた通り、真面目に日々のおつかれ1杯を積み重ね、気づいた頃には、ビールうまー!というところまで達成。今やビール党、ビール大好き人になってしまった。実家に帰省したときに、一人晩酌で缶ビール5〜6缶を空けて、朝起きた母が流しを見て史上最大に驚いていたな。

 よく、著名な方が没後○周年とか、生誕〇〇年とか、記念されているが、昨年末に、写真家石元泰博氏の生誕100年と題した写真展が開催されていた。つまり生きていれば100歳の年ということになる。そうか、じゃあ父の生誕100年もお祝いしよう、と思い立ったところで、一緒にお祝いしたい父の同級生たちも、なんなら母もその頃には100歳じゃないか、ということに気がついて、なんだかひとり寂しくなった。

 夢でいいから、父とおつかれ〜乾杯〜!をしたいな、と思う大寒の夜だった。

 父ちゃん、還暦おめでとう!乾杯!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?