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SELF AND OTHERS

 NHK日曜美術館で写真評論家の飯沢耕太郎さんが牛腸茂雄さんの写真集「SELF AND OTHERS」を紹介していた。自分の母親や親しい友人、公園の子供達など、日常の何気ない風景を切り取った素晴らしい写真集で、人、物、事とリアルに接することについて、ものすごく考えさせられたこの期間にぴったりな1冊だった。

 わたしは自分のことがよくわかっていない。いや、わかっているつもりだけど、わかっていなかったんだと気がつくことが非常に多い。
 例えば、トマトがとても好きなのだけど、今まで好きだと思って食べていたわけではなくて、幼い頃から祖母が畑で育てていから、頻繁に食卓に並んだし、「美味しい」と言って食べると祖母が喜ぶからたくさん食べた。そうするうちに、実家を出て一人で生活するようになってからも自分でお金を払ってトマトを買っていたし、居酒屋へ行くと必ず冷やしトマトを注文していたし、とどめに、よく一緒にご飯を食べる人に「トマト好きだよね」と言われて、ようやく、そうか、トマトすごく好きなんだ、という自覚が生まれた。

 ある人に「自分のことをあまり話さないからわからないんだよ。」と言われた。たしかに、あまりおしゃべりではない性格からか、人の話を聴いていることのほうが多い。「わたしあんまり質問されないんだよね。」と言うと、「まあ、確かに聞きづらい節はある。」と言われた。そうなのか。続けて「だから、あんまり話さないでしょ。話すと、自分が何をどう考えているかわかるよ。」と言う。そうかもしれない。わたしは自己顕示欲が強いくせに、それをうまく外に出せない。だからこうやって文章を書くわけだけど、もしかするとこのように悩む人は多いのかもしれない。20年前くらいに流行ったプロフィール帳が良い例かもしれない。あれは質問に答えていくだけで、自己紹介が完成する。答えは自分が思うように書けばいいだけだし、空欄をスラスラ埋めていくのはとても心地よかった。やはり、実際に文字にするとは大事なことで、このnoteは自分にとってあるべき取り組みなのだ。

 HUNTER×HUNTERという漫画で人に触れるだけでその人の記憶全てを見る事ができる能力を持ったキャラクターが「私の能力は質問を投げかけて、水の底の泥が舞うように浮かび上がった記憶を掬っていくの」というようなことを言っていた。まあ、これはフィクションの世界の話だけど、見たり聞いたり、外部からの刺激を感受することによって、内から呼び起こされるものは多いと思う。その方法のひとつがきっと他者の会話で、ゆえにコミュニケーションの大切さを問われるのである。
幼少期から自室に籠もって漫画を読んだり絵を描いたりすることに幸せを見出してしまったわたしは、家の電話にかかってくる友達からの誘いを何度か断ると、ついには誘いもなくなり、ますますおうちじかんに拍車がかかった。
一度、行ってみるかと思い誘いに乗ったことがあったが、何をして遊ぶのかというと、流行りの雑誌をみんなで読んでアイドルの誰がかっこいいだの、何が欲しいだの、話しているだけで、何が楽しいのかわからず、自らまたひきこもりに戻ることにした。
こうやって、他者とのコミュニケーションを早々に蔑ろにした為に、今現在、思考を行ったり来たりやきもきしているわけである。
「他者とは自分を写す鏡」とはよく言ったものだ。
牛腸さんもファインダーを覗きながら、余命幾ばくもない自分を顧みていたのかもしれないな。
たくさん質問してもらえる人間になろう。

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