好きなものに蓋
先日、絵を描いている友人とお茶をしたときのこと。
今年は家に籠る時間が長かったせいか、外の時間はあっという間に流れていて、気づかぬうちに季節が変わって、扉を開けてびっくりだったね、と話し、「家にいるとき何してた?」という友人からの質問には、このnoteのことを答えた。
「うんうん、外に出ないから、向き合うものが自分しかなかったよね。」
続けて、
「私は断捨離をしたんよ、星野源のCDやらDVDやら雑誌やら、いっぱいあったものを全部手放した、すごく好きなんだけど、好きだから手放した。」と。
友人が星野源が大好きなことずっと知っていたから、びっくりして思わず、なんで?!と聞き返したところ、
「前に見たテレビ番組で、GACKTが言ってたんだけど、白米が大好きで、でも好きすぎるから食べるのをやめたって、好きなもの犠牲にしないと欲しいものは手に入らないと思ったからって、その言葉が突き刺さってね、でも白米はやめられないから…」
と友人は言った。
私が進路に悩んだ高校2年の半ば頃、父は体調が思わしくなく、来年の桜は見られないかもね、と言われていた。そんな父にこれだけは聞かなきゃと勇気を出して、私これからどうしたらいいかな?と聞くと、父は背中を向けたまま「お前の好きにしたらええ。」と、そう一言だけ答えた。そうか、と、単純な私はこの言葉をすっかり鵜呑みにして、好きなことをするぞ!と実家を出て、大学へ進学し、音楽サークルへ入り、カナダへ留学した。就職活動の面接では「自分の好きな物に囲まれて生きたいです。」と胸を張って言っていた。
「でもね、やめてみてよかったよ。好きなことがない時間、制作に集中できたし、気が引き締まった。」
と友人は言っていた。
そういえば思い出したけど、本が大好きな子が今は小説を読まないようにしているという話を人づてに聞いたことがあった。読むものはビジネス書や専門書に限っていて、その理由は、小説はのめり込みすぎてしまって、電車で降りる駅を通り過ぎてしまうくらい世界が見えなくなってしまう、とのこと。
自分の人生、進むべき道は自分の興味や好奇心を優先させてあげたいと常々思っていたけれど、友人の話を聞いて、自分に足りないものを指摘されたような気持ちになった。リクルートスーツを着て、自信満々だった自分がこっぱずかしいぜ。
しかしまあ、有難いことに、今の自分の生活は好きなもので成り立っている。好きこそものの上手なれ、というもの信じていきたいね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?