散文的とは
最近ずっと考えてる。
忘れてしまった記憶に大事な
何かがある気がして
その思い出し方をずっとずっと。
ボーッと立ち尽くして何もない天井を見つめてみたりね
僕は、飽き性とめどないほど
限りなく水平線の向こう側まで、
それはみんなもそうかそうだよな
流行り廃りが激しい秒針に踊らされている人を
見れば見るほど胸の奥の方が痛む。
嗚呼、、自分もそうだなって思う。
でもそれが良いか悪いかは誰にもわかんないわかりたくない
でもブレたくないものが絶対にあるはずで
例えば、音楽だったり映画だったりアイドルや俳優その他娯楽
はたまた社会性、協調性お金や地位や名誉、慈悲やいるかわからない神様まで
おーい聞いてんのかって思うけどそれは常に自分の中にいたりして
それを忘れてる時が一番楽チンなのも知ってる。
あの子とのベッドの上でのなんでもない会話から一心不乱に求め合う時とか
家族や仲間と囲む食卓だったり、クラブでひたすら体揺らしてる時とか
頭がかち割れそうなぐらい寝てた時とか、
だけどいつでも頭の中で蚊柱が邪魔する。
ああうるさいな何回も言わせんなよ。
記憶が大事なんだよ。って自分に言い聞かせる
忘れていくこと、忘れられてしまうことが怖くて仕方がない
hip-hopしてるくせに
全くといっていいほどシャープの記号は文頭につけない割には
レスポンスや反応が欲しくて堪らなかったり
あくまで尻尾は振らないのに少しだけでいいから
遠くから手を振って欲しいみたいにね
そんな自分が大好きだ。
こんなこと言うと「うわ」とか言うやつ
勿論その言葉の裏には煮え滾るほどの皮肉を込めてって
教えてあげないといけないのかね
めんどくさいね本当にもう
みんな何かのせいにして生きてる
環境とか政治とか肌の色とか病気とか
全く知らない画面に映る人とかもう関係ないものまでその形は様々で
でもそれは来たるべき頭の理解が追いつかないほどの理不尽と対峙した時に
耐える為の頭の構造に過ぎないなととてつもなく思う。
こんな時だからこそそれが余計に浮き彫りになる。
みんな忘れないでね
みんながみんな良いとこと悪いところがあって
それは見方によっては悪いとこと良いところだからさ
切り開くも切り開かないも考えられないぐらい
両手に余るほどあるってことを与えられてるってことを
小さな心情のときはどうしよもなく何かのせいにしたくなる時があることを
結局のところ何を言いたいかって?
訳わかんないしつまんないしなんなのって?
時間を返せっだって?
何文字読んだのさ
真逆のことをしたまでだよ
タ......
始めに言ったよね飽き性だって.....
2020_06_09_am7:34