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こんばんは、あ、呼んでる人にはこんにちはが
いいかなそれともおはようかな。
最近よく考えることがある、内側と外側のこと。
外側には内側が滲み出るとかそんなはなし。
夏もそこまで近づいているのに空も不安気で
窓を開けて寝ると風邪をひいてしまいそうな
そんな時期のこと。
最近絵を描くことが楽しくって一心不乱にボールペンを
走らせるんだけど、どうも美しい絵が書けない。
人をかいたらどこか歪で醜くて
風景なんかはざらついていてぼろぼろで。
別に上手な絵なんかが描けるわけでも、絵心?みたいなのがあるわけじゃないんだけど美しい絵が描けない
書きたいとかそういうことじゃなくて描けない書かない
なんとなく意識したことないけど
多分私にはそう見えてるんだと思う。
必要以上に歯が多かったり口が大きかったり
目が大きかったり頭だけが大きかったり
手の指が6本だったり
鼻がなかったり顎がぐにゃぐにゃだったり
自分ではもう慣れてしまって嫌悪感を全く抱いたこともないし不気味にも恐怖にも感じたことはないんだけど。
みんなの内側が外見に滲み出てるのかななんて
思ったり
思わなかったりと。
偏見だっけそういうの塗れと一蹴されてしまえば
そこまでなんだけれど、偏ってるとかそういうことじゃなくて間違ってないことの方が多いのは
22年間生きてきて実感しているしだいです。
わざわざ例を挙げ連ねるつもりはないけど
なんとなく似顔絵は描きたくないなと思うんだよね
「え、私のことこう見えてるんだね美しくないね」
と言われてしまいそうだから
美しさは貴方の物差しで私を美しく描いて欲しいわ
というべきで似顔絵描いては無理があるなと
思うわけでございます。
まあ要するにあーだこーだ言いましたが
どれも特徴に過ぎないので美しいだとか綺麗だとかを
私は説いていなくてですね。
褒められたくて書いてるならとっくに辞めてると思う。
絵も音楽も何もかも
何故かこういじけてて皮肉めいたことばかり言ってしまうのが私の悪いところかなと思うわけです。
次の話は五感は脳みそへ情報を送るフィルターとか
翻訳機みたいなのかななんて思うのです。
だから何って話ですが生まれた時から備わっていて
生まれた時は何も知らない
空っぽで生まれてきてるのだとしたら
生まれた時全て知ってるのに理解という処理の方法を
知らないのだとしたら
五感を介さず脳に直接流し込んだら壊れてしまうんだろうと
思うのです。暗い何もない水の中で外で呼吸できるだけの
成長をして突然目まぐるしい情報を流し込まれたら
なんてことを思うとため息というか凄まじい疲労というか
んーなんて言ったらいいでしょう。
だから産まれて来た時五感は鈍い状況で産まれてくるのかなと思うのです。
言葉というよりまず音を認識すべく耳でぼやかして
何かをぼやかすため目でぼやくして色を認識して
一つずつ理解していく。
まずSOSが出せるように泣く鳴く、
だから自分の好きなもの嫌いなものもう少し細分化して
細かく見たら全然違うものも好きだったりして
固執と依存と足し算と右ならへ右ばっかり刷り込まれて
生きると多分気がついた時五感はもう機能してないのかも
しれないなと思うと少しだけ恐怖を感じて
ハッとする日々でございます。
あー疲れた訳わからない口調で文字を書くから
疲れた無駄に考えて逆に伝わらずらく支離滅裂な
気がして来た。
ねる眠い腹減ったタバコ吸いたいあー
はよレコーディングしてさっさと曲だして
次は何しようか考えてワクワクしてるんだよこっちは
頑張ろう頑なに張るんじゃなくてガンバルに
近いかな最近もう日本語はひらがなとカタカナだけで
いいんじゃないかと思う何かを表現するには
ちょっと荒すぎる
頑なに張るとかなにふさげてるよ笑笑
コロコロかわるさいつだって
ニゴントカジャナイヨヘンカダヨ
クダラナイコトイッテネエデネタラドウダイ
オヤスミネ