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お客様でいるのはラクだけどツマラナイ【ユタカジン】

おつかれさまです。
本記事は「自分らしい時間的豊かさを追求する」をテーマにしたマガジン「ユタカジン」への投稿です。

僕の前回の記事はこちらです。

今回はタスクシュートやタスク管理から離れて、PTAなど子ども関連で絡む組織に僕がどのように向き合っているかというお話です。

というか、どっぷりと浸かっているという話です。


普通の人なら避けたい「PTA」などの「役」

子どもがいると、色々な謎の組織があることを知ります。

  • 保育園では「保護者会」

  • 学校では「PTA」
    (小学校だけではなく、幼稚園や中学校、高校にもあったりします)

  • スポ小では「育成会」

  • 町内の子ども会という「役」
    ※PTA以外の名称にはバリエーションがあります。

さらにそれらの組織のメンバーは

  • 委員

  • 役員

と呼ばれ、さらに

  • 委員長

  • 会長

という雲の上な感じの役職の人がいます。

そしてなんと、それらが指名や持ち回りなどで回ってくるのです。
恐ろしいことに他人事では済まないということです。

普通の人は「何をするか分からなくて怖い」「ただでさえ忙しいんだから絶対に避けたい」と考えると思います。

もちろん僕もそうでした。
「好きな人が熱心にやっている」か「仕方なく任期を全うしているか」と。
特に「長」は人格のあるシャチョーさんとかがなっているのだろう、と。

保護者会「会長」になってしまった。

それが一変したのは、末っ子(3番目)を通わせていた保育園で保護者会の「会長」になったことです。シャチョーでもないのに!

ただ各年齢が20~10名という小さめの園でなり手もなく、自分は上の子2人も通っていたためベテラン保護者扱いでしたし、まぁ仕方ないかなと引き受けました。

会長という立場になると、けっこうマインドが変わります。

まず、運動会などイベントの準備や奉仕活動など事あるごとに、一緒に活動している保護者に対して「お礼の挨拶」をすることになります。

人の前に立って話すのが苦手なのに「あ~、みなさん、おはようございます。お忙しいところご参加いただき、ありがとうございます! 今日は運動会の準備ということで、それぞれの持ち場で先生に聞きながら、ケガだけしないよう、よろしくお願いします!」みたいなことを言ったりします。

これを繰り返すと、イチ保護者というマインドではいられなくなります。

先生方や園長と会話することも激増して、かなり仲良くなります。
イベントのやり方や予算の使い方などで判断を求められることもあります。

他の保護者からも「今年の会長さん」という扱いを受けることがあります。

ますます、イチ保護者というマインドではいられなくなりました。
(しかし、特に熱意はありませんw)

タイヘンな年の「PTA会長」になってしまった。

末っ子が卒園して会長職も終わり、やれやれと思っていたら小学校で「広報委員長」としてPTAに参加することになりました。

そして年度末に「来年度の会長、30周年記念式典を担当することになるんだけど、誰にお願いする?」「誰でもいいわけじゃないからな~」「・・・」という状況になりました。

当時の会長さんとは園からお付き合いがあったし、次が決まらないとかわいそうかなと思って「アテがないのなら、やるよ」と手を挙げてしまい、無事にPTA会長となりました。シャチョーでもないのに!

記念式典の委員会も立ち上がり、他のPTA役員の皆さんや先生方と隔週くらいで会議をしたり、一緒に各種の準備をしたりして、かなり仲良くなりました。地域の年配者の皆さんや議員さんとも顔見知りになりました。

この時もイチ保護者ではなく、学校や地域の色々について自分ごととして考える立場として振る舞いました。

生まれ育った地域ではないので、コミセン(公民館)で過去の広報誌をすべてもらってきて目を通しました。

全児童数が100を切っているので、時々他の保護者から「そのうち隣の学校と合併するって聞いたんですけど・・・」という噂が出てきます。近くの分校が閉校した事例を調べたり、地域や教育委員会にヒアリングして「全児童数が1桁になってから検討開始っぽいから、まだまだ先のことよ。」と答えたりしました。

この町や学校を盛り上げていかないと!とかはサッパリ思わない、熱意のないPTA会長でしたが、本人は楽しく過ごせました。

市と町の「子ども会」会長にもなってしまった。

PTA会長が終わる頃「翌年の補導委員は充て職でドエライものがくる」ことが問題になっていました。
PTAで「補導副委員長」という職になると、6つの小学校で回している「町の子ども会、会長」という役も付いてきます。
さらに4つの町で回している「市の子ども会、会長」もダブル当選になるという当り年です。

「誰にする?」「誰でもいいわけじゃないからな~」「・・・」

デジャヴです。

「しゃーない、やるよ」
「あざ~~~っす!」

と、その時点で何をしている組織か全く把握していない「子ども会」の会長になりました。シャチョーでもないのに!

子ども会。町内の子どもだけを集めてお祭りの神輿や出し物をしたりキャンプをしたり。「そういえば、あれは子ども会の行事だった」という経験がある人もいるかもしれません。

その子ども会が、階層的な組織だということを初めて知りました。
町の、市の、県の、全国の、子ども会組織があります。
(ちなみにPTAも同様の階層があります)

会長として、町の、そして市の子ども会のイベントや式典で「挨拶」など経験し、自分の名前が入っている賞状を何枚も渡しました。(超ウケる!)
まさか賞状を渡すほうの立場になるとは、人生分からないものです。

県の子ども会の集会では「市」の代表として参加して、少子化問題を含めて「市ごとの、町ごとの、そして維持が難しくなっている最小単位の」子ども会のあり方について議論したりしました。

それまで意見なんて持ってなかったけど、エラいものでその立場になると、それなりの意見を言えるものです。ここでも自分ごととして考えるようになりました。

ちなみに他の市の会長は5年以上されているかたが多い中、自分の市だけは1年交代です。色々と考えたところで翌年以降はせいぜい「顧問」として残って多少の意見を述べる程度の存在になります。(なりました)

そんなこんなで他の市の会長さんから軽く慰留を求められましたが、1年交代のルールは市の意思で、そこを「オレがずっとやる」とひっくり返すほどの熱意はなく、楽しく終わりました。

子どものフットサルの「事務局(長)」にもなってしまった。

そんな子ども会の会長をやっている年に、小学生の娘が参加しているフットサルチームの「事務局(長)」担当にもなっていました。

コーチのサポートとして、他チームとの試合の調整や、選手登録、保険加入などなど「主にパソコン作業する人」くらいの認識だったのですが、いざなってみると「保護者をまとめる人」みたいな立場でした。

とある保護者から「経費が不明瞭なので会計報告をしてほしい」と依頼されて実施しました。チームがNPO法人なので知る権利がありますし、そもそもNPOなのでお金の流れが特殊なことになっていて、それも学んで伝えました。

という感じで、ここでも自分のチームでもないのに「よく分かっている人」になり、自分ごととして色々な仕事をしました。

ちなみにトータルで4年ほど関わり審判もしましたが、未だに分かっていないルールがあります。そしてそもそもスポーツにあまり興味がないままです(!)それでも全般的には楽しく過ごせました。

お客様ではなくなると、楽しくなる

振り返ると、PTA会長になるまでは、小学校に対してはあくまでイチ保護者、もっと言えば「お客様」な気分でいたように思います。

参加することで、自分の子どもだけのためではなく、みんなのために活動することは、意外なことに自分にとって楽しいことでした。仕事と家庭に加えて、もう一つの(いくつかの)居場所ができたように感じています。

ラクなお客様という立場から離れて、非効率で面倒臭いことを一緒に喋りながらやることが、楽しくなる秘訣かなと思います。学校なり町や市なりへの解像度が少し上がることも楽しいです。

これが今の僕にとって「自分らしい時間的豊かさを追求する」ことに繋がっていると感じています。

これを読んでいるあなたも是非PTAに!とは全然サッパリ思いませんが、そういう機会が来たら積極的に関わってみることをオススメします。

さいごに

「ユタカジン」では多様なバックグラウンドや考え方を持っているタスクシュート認定トレーナーのみなさんがそれぞれの「自分らしい時間的豊かさ」を追求していく記事が日々投稿されています。

みなさんにもピンとくるものがあると思うので、マガジンをフォローしていただけると嬉しいです。

あと来週にLIVEがあるそうです。ライブ!?(わかってない)

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