伊緒

ここには居ない誰かを想って泣く夜がある。

伊緒

ここには居ない誰かを想って泣く夜がある。

最近の記事

東京

「東京はね、夢を叶えるための場所じゃないよ。夢を諦めてもそれに気づかないでいられる場所だよ」 何かのドラマのどこかの台詞。 東京について語られる時、そこには諦観に似たような一種の冷たさと、目が痛くなるほどの眩しさが含まれているような気がする。 生まれた時から東京に住んでいた。 大学時代に親の意向もあって東京から離れた時期もあったけど、それでも首都圏と呼ばれるところに住んでいた。東京の大学へは通学に1時間ほどかかっていたけれど、通学圏内に渋谷、新宿、池袋があった私は「ラッ

    • 2023/11/15(水)

      一気に寒くなってきた。 そろそろ衣替えの時期だなと思いつつ、まだ大丈夫かもなといつもの仕事着で玄関を開けた瞬間、思わず「さっっっむ」と声が出た。いつからこんなに寒かったの?と驚くくらいの変わりよう。なのに天気は「前からこうだったよ」と言わんばかりの平常を装って、寒い風で私の頬を撫でる。 10月後半からの数週間、疲れが取れないなぁと感じ、なかなか思うような生活が出来ていなかった。あぁ、季節の変わり目だったからかと何となく腑に落ちた。 いつも通りに出社する。 9月から参画し

      • 卵3つのオムライス

        小さい頃からオムライスが好きだった。 外食で食べるオムライスじゃなくて、冷凍のチキンライスに卵、あとは好きにかけていいケチャップ。夏休みとか日曜のお昼とか、適当に済ませちゃおっかの候補に出てくる何てことないオムライスが好きだった。 小さい頃からそれがお昼に出てくると何となく嬉しかった。 昨日、2週間に1度の通院をして、薬が増えた。 増やされたというより、服用している睡眠薬は指定されている1錠では効かないので2錠飲んでいると話した。だけど、2錠飲むと寝つきは良いけど 翌朝に残

        • 見知らぬ街で未来の自分へ手紙を出した

          今日は午前中に洗濯と掃除をした。 本当は家の隅々まで綺麗にしたかったのだけれど、無理そうだなと思った。早々に諦めて、お昼頃に喫茶店に行った。 久しぶりに外に出て、何でもいいから 最近 私が感じていることをノートに書き出そうと思った。 筆の進まないnoteがいくつもあったし、stand.fmで投稿したい収録の記事をいくつか消化しようともした。 だけど、気持ちが進まない。何時間か携帯とにらめっこしたけど、一文字も浮かばなかった。 多分、今の私の気持ちでは その記事で書きたい

          居酒屋で出会った医者と占い師の話

          noteの下書きに書き上げたのに掲載していなかった記事があったので消化しようかなと思う。 2019年の9月。少し昔のお話だけれど、その時の記した気持ちと今の私の気持ちはそんなに変わらないなと思うので、そのまま載せておきます。 私は居酒屋が好きだ。特に個人経営の居酒屋。 カウンターだけ並ぶ居酒屋は、席が隣り合ったお客さんと話す機会が沢山ある。たまたま隣に座った人の物語や価値観を覗いたり、一瞬でも触れられる機会があることは宝探しのようだ。 その日に知り合ったのは、70代くらい

          居酒屋で出会った医者と占い師の話

          名前を与えて。

          久しぶりに大好きな洋食屋さんで食事をした。 ずっと身動きができない状況で、気軽に会えない世の中に 少しだけ光が差してきたような気がする。そうであってほしいと思う。 お手軽なコース料理を注文して、お酒を片手に色々と話す。 その話の中で父親からこう言われた。 「貴女の中で 辛い記憶が消えてないんだよ。    そこから派生して 症状が出てるんだよ。    一度 ちゃんと治療してきなさい」と。 時々、突然不安に襲われて 身動きが取れなくなることがある。正直、そうなってしまう

          名前を与えて。

          「通夜にフライドチキンを食べる一家のヒミツ」 https://toyokeizai.net/articles/amp/241242 自分が何者かと思い悩んだとき、神妙な顔でルーツをたどれば、どう進んでもしょうもない笑い話に行き当たる。生きていくうえで、これ以上に励みになることなんてそうそうないんじゃないだろうか。

          「通夜にフライドチキンを食べる一家のヒミツ」 https://toyokeizai.net/articles/amp/241242 自分が何者かと思い悩んだとき、神妙な顔でルーツをたどれば、どう進んでもしょうもない笑い話に行き当たる。生きていくうえで、これ以上に励みになることなんてそうそうないんじゃないだろうか。

          いつかの君の盾となれ

          久しぶりにnoteを書く。 私事だけど、最近「stand.fm」という音声配信アプリを始めた。 fmという名の通り、ラジオ形式のアプリ。 そのアプリに出会ってから色んな方とお話したり、色んな方の考えを目にすることが増えた。 その中で出会った方、ひで(@hide_dialog)さんが「愛とは?」についてそれぞれ自由に書いてくださいとテーマを提示なさっていたので、今回はそちらをお借りして記事を書かせて頂きたいと思う。 皆さんにとって、愛とは何だろう? #愛の定義 とは、人に

          いつかの君の盾となれ

          強さは時として狂気になり得る

          例えば、AちゃんとBちゃんがいたとして Aちゃんは 割と人目を気にすることもなく 自分の欲求に対する行動が素直な子だとして、反対にBちゃんは 人目を気にしたり 他人の反応や様子によって 自分の欲求を隠してしまう子だとする。 強さという定義は人それぞれだけれど、この場面で 表す "強さ"を定義するとすれば "自分の考えをはっきりと表に出せるかどうか" である。 本当に極端な例だけれど、AちゃんとBちゃんが2人で出かけに行った先で 飲み屋に入ったとしよう。そこの飲み屋で 他

          強さは時として狂気になり得る

          "悲しさに寄り添う"ということ

          悲しさという感情を具現化できるのだとしたら、それは きっと ガラス玉みたいな 丸くて 透明なものだなと思う。 心の奥に在るそれを 割れないように両手でそっと包み込む。 冷たくて重い。 だけど 心地が良い。 暫くそれを抱えて抱きしめた後は、 お礼を言って、そっと元の場所に戻す。 また来るねと言って またどこかに歩いていく。 私にとって 悲しみとの向き合い方って 多分 そんな感じなんだろうな。 と最近、ふと思った。 人それぞれの悲しみとの向き合い方があるのだろうけど

          "悲しさに寄り添う"ということ

          冠と花言葉

          「優しさとは何だろう」とよく考える。 悲しいことがあった時、私がしてあげられる最適解は何だろうと考える。 感情というのは厄介なもので、他人と同じような状況、同じような体験をしても全く同じ感情には出会えない。 だからこそ、全世界に共通する「優しさ」とは何だろうと考えてしまう。 「優しさ」という言葉を調べた時、辞書にはこのように書かれている。 2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。「―・く慰める」「―・い言葉をかける」 優しさ=思いやりだと言い換えられる

          冠と花言葉

          東日本大震災で、夫と子供を失った女性に前に現れた「霊の記憶」 「本当に側で見守ってくれているのなら 『ここにいるよ』って言ってよ。いま、私の近くにいるのならここの何かを動かしてみてよ」と叫んだことがある。 それに呼応するかのように 掛けてあった青いコートが目の前で揺れた。 あの時の私は泣きじゃくっていて、 気休めに幻覚をみただけなんだと思っていた。 カーテンも閉めて、窓も閉め切っていた。 真冬の凍えそうな夜の日だった。 - - - - - - - - - - - -

          近所の中華屋でふと目にしたテレビで「森会長の女性蔑視の発言は確かに不適切だ。けれど、それは森会長へ”老害”等と数ある差別用語を向けることを正当化させ得るものなのか?それは果たして許されるのだろうか?」と発言していた映像を観て、暫く考えてしまった。正義や正論とは何なのだろうか。

          近所の中華屋でふと目にしたテレビで「森会長の女性蔑視の発言は確かに不適切だ。けれど、それは森会長へ”老害”等と数ある差別用語を向けることを正当化させ得るものなのか?それは果たして許されるのだろうか?」と発言していた映像を観て、暫く考えてしまった。正義や正論とは何なのだろうか。

          「Shame on me」から考える五条悟の愛し方

          ※こちらは呪術廻戦0,8,9巻を踏まえた筆者の勝手な解釈記事になります。ネタバレもあるのでそれらも含め、興味のない方は読まないでください。 ここからは自己責任です…!ではどうぞ!! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Oh my my! あぁ、最悪だ (That’s what I get for loving you) きみを愛して得たものは Lie, lie, lie! 嘘ばかり 大切な人へ示す”愛”を言語によって表現することができる

          「Shame on me」から考える五条悟の愛し方

          人生とは一杯のコップのようなものだ。大切なのはそこに”何を注ぐか?”である。麒麟ビールのCMでの言葉。とても素敵。

          人生とは一杯のコップのようなものだ。大切なのはそこに”何を注ぐか?”である。麒麟ビールのCMでの言葉。とても素敵。

          灯りの数だけドラマがある

          毎年夏になる度に、 「花火大会が開催されるところから近くに住んでいる人、家から花火見れるから良いよね〜羨ましい〜」 と、蒸し暑い夜に花火大会目当てに目的地に向かう大勢の人波に揉まれながら、ふと思う。 地域のイベントごと、 たった1年に1度の出来事だけれど、 その特権を持つ人たちを 毎年、羨ましいと思ってしまう。 自分の通っていた学校の土手近くで、 毎年、花火大会がある。 大学生になってからは、引っ越してしまったからなかなか行く機会がなかったけれど、 久しぶりに東京に

          灯りの数だけドラマがある