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nakamurahohare
教育は子どもの幸福のためにある
教育は、何のためにあるのか。何のために学ぶのか。
根本的な問いであるが、子どもにもわかるように一言で答えるのは難しいテーマである。
今年、私は、小学校の教員として10年目を迎える。公立小学校の現場では来年度の学校経営はどうするか。運動会はどうするか。などの議論がされる時期である2月。
最初の問いに対する答えが多様化している今、話し合いはズレる。保護者や子どもの価値観も多様化していることはもちろん、教職員の価値観も多様化している。最初の根源的な問いに対して、ある一定のコンセンサスが取れない以上、話し合いの舵は取れず、座礁するか、とにかく漕いで漕いで、時間という制約のもと、どこかの島に辿り着く。
これは結局、学校のことを話し合っているようで、私たち(教職員)の子どもたちへの向き合い方を今、問われているのではないだろうか。
現代において、私たち大人もどこに向かって船を一生懸命漕げば「幸福」という誰もが求めているものにたどり着けるのか、わかっていない。
社会のためか。お金のためか。豊かさのためか。誰かのためか。
教育は、子どもの幸福のためにある。
では、子どもの幸福とはなにか、との議論もあるが、ここでは、一度、以上の定義のもと、「教育」について、再考する場所としていきたい。
そして、「子どもの幸福」のために、私(私たち)にできることを考えていきたい。