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ジョウシキニトラワレルナ

子供を育てていると常識とは何だろう?とハッとさせられます。

写真の絵は息子の絵ですが、もっと面白い絵が沢山あります。

子供の無限の可能性を大人の常識で摘み取ってしまっている。と感じることが多々あります。
それって、つまり幼い頃の自分の気持ちが蘇っているのかな?って時もあります。

不思議なことに、自分が親に言われた言葉を使っている時もあって、自分の言葉に自分が幻滅してしまいます。『そうじゃないだろ!』と…

小さな町工場で、現在も家業を手伝っている事が影響しているのかも知れません。
何十年も両親と一緒に働いていると、常に無意識化で両親の思考に影響され続けているのかも知れませんね。

なぜ、そう思ったのか?

それは、今朝の夢の中で『世の中の常識なんて本当はないんだよ!』という声というか文字というか、そんな概念みたいなモノが、何度も何度も頭の中に入ってくるイメージが続いて、今朝の5時前から目が覚めてしまいました。

世の中にある常識なんて、本当はないんだよ!

このフレーズが頭に何度も入って来た時に、『そりゃそうだ!』
『常識にとらわれている場合ではない!』
夢の中で自分が放った言葉に納得した。
そんな時に目が覚めた。

いま。沢山のチャレンジをしたいのに、誰かが生み出した『常識』に縛られて動けない。

もし、チャレンジに失敗したら…
独立して失敗したら…
最近、思っている結果が出ないが、もう限界なのか?

無意識に自分で自分に制限をかけている気がする。

この場所に本音を書く事で、自分自身を鼓舞していると感じる。

孤独でチャレンジしても続かない。
しかし、きっと『誰か』が応援してくれる。
このチャレンジを見てくれている。と思えるだけで人は強くなれる。

失敗し続けていると、身近で応援してくれている人も『まだ、失敗しちゃったの…』
または、自分自身が『あの人は…また失敗しちゃった。と思っているかも』と自分で自分に制限をかけてしまう。

だから、私の存在を知らない人に、私のチャレンジを語っても『過去の失敗』は知らない。
そして、私も自分自身に制限をかけない。

今まで、そうやって何度もチャレンジし続けていました。

でも、時々は成功に近い結果や、たまに成功して、過去の失敗を帳消しにしたり、過去の損失を取り戻してます。

結果的にプラマイゼロで、他人の目から見れば『損得』はゼロ。

私の中では、チャレンジし続けたことで『得』しかないが、他人の目からは失敗し続けている方に目が行ってしまう。

ここまで書いて、またまた気づく。。。

これも、私の思い込み。
どうやら、無意識に自分自身に『他人』というフィルターを使って制限をかけているみたいだ…。

こんな投稿は凄く恥ずかしい。
ここがFacebookだったら、リアルの知り合いが多いので投稿しない。

そして、この気づきと感情は削除と共に記憶から消去して終わり。

でも、きっと心の奥で永遠にくすぶり続けていて、それが溜まると自分以外の『誰かのせい』『環境のせい』として、心の奥からフツフツと感情が表に出てくるのだと思う。
そして、自分でかけた制限が下記のように変化して、『できない理由』が完成する。

お金が無い。
時間がない。
環境が悪い。
親や先生がお前では無理だと言ったから。
家庭があるから。
子供が小さいから冒険よりも安定。
才能が無いから。
頭が悪いから。
運が悪いから。

できない理由なんて無限に出てくる。

できる理由は限りなく少ない。←これも思い込みや制限。

『常識』という制限を乗り越えた時に、きっとビックリするような『できる理由』が沢山でてくるはず。

ここまで書いて、支離滅裂な文章と恥ずかしい思いで、この投稿を『無かったこと』にするのは簡単。(笑)

でも、敢えて投稿します。
沢山の『できる理由』が欲しいので💦




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