あなたの知らない世界 その1
実は、この霊能者との物語とタロット占い師のMちゃんと物語が、少し交差していますので、補足という意味で数話ほど『こちらの物語』にお付き合いください。
■霊能者との出会い
私は17歳から22歳までの5年間もの期間、ある霊能者の方の家に通い詰めていました。
きっかけは、私の叔父の嫁さんが少し霊感があったみたいで、その友達つながりが霊能者の方でした。
最初は、叔父さんの妻と私の母が、その人の所に遊びに行った時に、たまたま私の話しになったみたいで『ぜひ息子さんを連れてきてください!』と言われたみたいです。
当時、高校2年生だった私は、ひとつ年下の彼女と付き合っていましたが、その彼女がホラー好きで霊能者に会えるなら会ってみれば?みたいな流れになり会いに行きました。
たまたま、霊能者の子供と私の彼女が知り合いで意気投合してました。
少し話は戻ります。
私は、彼女と二人で霊能者の方に霊視をしてもらいました。
その時に霊能者の方から色々な話がありましたが、最後にこんな事を言われました。
■何度も死にそうになっていた事実を当てられた
霊能者『あんた、何度も死なそうな目に遭遇してるね!』
霊能者『あんたは、何かに守られているね。生きていることに感謝しないとダメだよ。』と言われました。
そうなんです。私は小学5年生(10歳)の時に、原因不明の高熱になり、42度の熱が数日ほど続きました。
地元の病院に2件ほど受診しても、少し様子見です自宅静養でした。
ただ、あまりにも座薬を入れても熱が一向に下がらず、最初の病院に再受診した時に、『これは重度の肺炎かも知れません!すぐに紹介状を書くので大きい病院で受診して草祭!』と言われて、大きい病院に行きました。
結果は『即入院』でした。
そして、入院から数時間後に、私は意識不明に陥りました。
(7日間ほど生死を彷徨いました、)
数日経過しても熱も下がらず、意識も戻らず、母親は担当医から説明を受けていました。
『お母さん、大変申し上げにくいのですが、、、息子さんは「85%の確率で植物状態」になります。奇跡的に意識が回復したとしても「残りの15%は意識が戻りますが重度の言語障害」になります。、もう普通の生活は諦めてください。』と母親は宣告されました。。。
■意識不明の私
意識不明の時に、私は不思議な長い夢を見てました。
暑くもなく、寒くもなく、少しだけ暖かい場所なのですが、周囲が濃霧のような白い霧になっていて、しかし明るい霧状になっていて誰もいません。
1メートル先も見えない濃霧なのに、周囲は凄く輝いていて『大きな照明に空間全体が照らされているような明るい空間』に私は立っていました。
周囲の空間は無音です。 ただ、ひたすら無音でした。。。
私は声を発する訳でもなく、ただ立ち尽くして明るい霧状の空間にずっと立っていました。
何時間も経ち続けていたのかわかりません。
そして、ほんの一瞬だけ目が開いたようなイメージがしました。
そこには私の顔を心配そうに覗き込む母親と担任の先生の顔が一瞬だけ見えて、また濃霧に包まれました。
小春日和のようなすこし暖かい空気、明るい霧状の濃霧の空間、音ない世界。ただ、ひたすら明るい霧状の濃霧に包まれ続けていました。
そこに死の恐怖はなく、不思議と怖い感情も一切ないまま、ただひたすら無音の中に立ち尽くしていました。。。 もう、時間の概念もなく、音もない明るい濃霧の場所に永遠に立っている感覚でした。
どれぐらいの時間が経過したのだろう。。。
やがて、目の前が急に明るくなり、私は眩しくて目をつぶりました。
そして、そっと目を開けたら、私は個室の冷却テントの中で目が覚めました。
母親は号泣し、すぐにナースコールを押し、すぐに看護師と先生が来て、その後に簡易的な検査を受けました。
名前を聞かれたり、話す事ができるかの確認と、指や腕、色々な部位が正確に動かせるのかを確認されました。
その後は、熱も37〜38度前後で安定しました。
ただ、その後に合併症を誘発して、肺の中に水が溜まって呼吸をする事が難しくなり、酸素マスクなども付けていました。
その後に、肺に図太い針を背中から直接に打つ方法で、肺に溜まった水を強制的に抜く治療を2〜3回ほど経験しました。
結局、私は約45〜47日間ほど入院しました。
4歳ぐらいの時には、自宅の隣に新築の建前の儀式の時に、隣の2階部分から自宅の窓を叩こうとして、危うく落下しそうになりました。
ただ、子供ながらに窓を叩いては『なにかが起こる』予感がして叩きませんでした。
もし、自宅の窓を叩いていたら、私は8メートルぐらいの高さから落下して死んでいたと思います。
その霊能者に言葉は見事に当たっていました。
しかも、その後も凄い事を何度も当てられて、途中から霊能者に依存してしまった事もありました。
また、17歳で北海道の友人に会うために1人でツーリングに行きました。
(この話は、また別の機会に話します。←面白い話もあるのでw)
その時に、東京から青森までは東北自動車道をバイクで走り、八戸からフェーリに乗り、そして、函館から名寄という場所までの合計1600kmをフェリー以外は寝ないで走り続けました。(途中で色々と立ち寄りましたがw)
実は、ADHDのために計画が立てられず、無計画でスケージュールを適当に組んだ事から、フェリーの時間に間に合わなくて、そんなに休憩をしないまま走り続けました。(苦笑)
福島県を過ぎたあたりで、あまりの疲労にバイクの運転中に居眠り運転をしてしまいました。
途中で、夢か現実か判らない状況に陥りましたが、奇跡的に急ブレーキを掛けることができてガードレールに直撃する寸前で止まりました。
■恋人との出会いを霊視してもらったら・・・
それは、私が19歳の時の出来事でした。
当時、私はスポーツジムに入っていて、毎日3時間ほど筋トレとプールなど身体を鍛えていました。
アルバイトのスタッフに筋トレの補助をしてもらっていました。
不思議と補助をしてもらうタイミングの時は、いつも同じスタッフしか手が空いてなくて、その彼女に筋トレの補助を手伝ってもらいました。
その後、私がミニバイクレースに出た時に、彼女と彼女の男友達が観に来てくれました。
それ以降は、何回かデートを重ねて付き合うようになりました。
そんな時に、彼女の体調が悪くなりました。
病院の検査を進めても行かないので、なかば強引に病院に連れて行きました。
検査の結果は肺気胸という、肺が潰れてしまう病気でした。
速入院が決まり、それから毎日お見舞いに行きました。
そして、手術が終わり容体が安定した時に、ミニバイクレースに一緒に来ていた男友達と病室で会いました。
その時、男友達の振る舞いでやっと気づきました。←当時は純粋な男の子でした。
彼氏が帰った後は、お互い沈黙のままでした。
『俺、帰るから。』
そう言って帰る時に、まだ容体が安定していない彼女が追いかけて来ようとするのです。
困った私は言いました『退院の日までは毎日お見舞いに来るし、それまでは何も聞かないから、とりあえず完治するまでは一緒にいるから!」と言って、彼女を落ち着かせました。
そして、彼女が退院の日に事態は起こりました。
ADHDの私は時間管理が苦手でした。
その日もギリギリの時間でした。
バイクで車の横を法定速度を軽く超えるぐらいの物凄いスピードで擦り抜けしてました。
そして、事件が起こりました。
渋滞中の車が、左折のウインカーも出さずに、コンビニの駐車場に突然に左折しました、
咄嗟に急ブレーキを掛けましたが、スピードの出し過ぎで止まらず、時速50〜60kmの速度で自動車の側面に激突しました。
そこから、不思議な事が起こりました。
目の前の景色が本当にスローモーションになったのです。
『ヤバい!ぶつかる!!!』
グシャ〜、ドーーーン!!!
私の身体は、スローモーションでゆっくりと投げ飛ばされました。
『あっ、俺もう確実に死ぬな…。』
『あー、こんな感じで死んじゃうのか…』
『っていうか、スゲー飛ばされてるじゃん!』
『これ、絶対にムリだわ…。あー、仕事も迷惑かける、、、彼女も悲しむなぁ。。、』
『親より先に死んでゴメン。』
『あー、本当に死んじゃうんだな…』
ドスン!!!
激しく全身が地面に叩きつけられた瞬間に、一気にスローモーションから現実のスピードに戻りました!!
ドスン!!! ゴロゴロゴロ!!!
天地が激しく高回転に回り出し、私は17〜19メールほど空中を飛び、そして地面に叩きつけられてから7〜8メートルを転がりました。
あれ? 身体中が熱い!!!
燃えるように熱い…。
『あれ?俺?生きてるのか?』
でも、身体は動きません。
すると大丈夫ですか?
声は聞こえますか?
生きていたら、どこでも良いから動かしてください!
必死にわたしを呼びかける声がします。
私は、なんとか指を動かして、生きている意思表示をしました。
そして、野次馬が集まり出して、私の周りを囲みました。
すると、最初に声をかけてくれた人は、非番の救急隊員の人みたいで、適切な判断と対応をしてくれまか。
そして、私は声を出す事ができましたが、指と首と身体全体が痛くて立てませんでした。←当たり前ですね💦
やがて、救急車が到着して、その方が事故の様子を伝えてくれました。
私は気が動転していて、住所と名前は聞けませんでしたが、担架で運ばれる時にお礼を言いました。
その人は『いやー。生きていてビックリしたよ!』
『普通なら、即死か重体ぐらいの事故だよ!』
『本当に生きていて良かった!!!』
病院に着いた時には、自力で歩けました。
検査の結果は、ムチ打ちと人差し指の骨折と全身打撲だけでした。
病気の医者が『なに?軽く転倒?』
『大したこと無いから、今日は帰って様子みて。』
帰宅後に吐き気を催して、あのヤブ医者めー!と軽い殺意を抱きつつ、どうやって帰るか悩んでいたら、事故の当事者が病院に来ました。
『本当にすみません!本当かすみません!』
『とにかく、自宅まで送ります』
車を確認したら、左側の助手席と後部座席のドアがクルマにめり込んで開きません。
運転席側のドアからクルマに乗りました。
あまりにも私が軽傷だったので、相手も少し意地悪な事を言ってきました。
『かなりスピード出してたでしょう?』
私はイラッとして『まぁ、それは認めるけどウインカー出さないで左折はダメだよね』
『いや、出したよウインカー!』
ヒョ『いや、ハンドルを切ってから出し、後方確認をしてないよね』
2人とも沈黙…。
『この車は廃車だよ…』
ヒョ『こっちは、死んだと思ったよ』
相手は事の重大さを思い知り、改めて態度を変えました。
『本当に生きてて良かった。すみませんでした。』
翌朝、激痛で目が覚めました。
『あれ?身体が動かない。。。』
そして、また眠ってしまいました。
もう一度、目が覚めました。
すると、私の横に『!!!」
つづく。