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『俺』と『腰痛』
たぶん、初めての腰痛との出会いはバイクレースの事故からだった。
当時、ミニバイクレースという物が流行っていて、スクーターだったり、50〜80ccのバイクのレースが流行っていました。
最初は、たった1人で始めていました。
いつも、偶然に隣に停車する不思議な雰囲気の兄さんと仲良くなり、いつの間にかレースチームになっていました。
千葉、茨城、埼玉県のレース場をメインに活動してました。
とにかく、色々なクラスのレースに出ていました。
モンキーやゴリラなどの4ストの改造無制限というクラスでは、改造費用が100万円を超える猛者とも戦いました💧
ちなみに、うちのチームはリーダー(10歳年上の兄さん)が解体屋から1万円で購入したダックスというバイクに、スーパーカブ80ccの1万円のエンジン、それに中古のボアアップキットを組み込んで115ccにして、ミクニのビックキャブを組み込んだ『総額10万円』マシンでした。←レース用のタイヤ代も含む。
相手は改造費用だけでも50〜150万円するフルチューンのモンキーやゴリラ達🐒🛵🦍
こちらは、ミッションまで予算が回らず、3速のロータリークラッチのまま戦う💦
直線では15〜20kmの差で抜かれるので、コーナースピードで追いつく、直線で抜かれるの繰り返しでした。
途中から大雨が降ってきて転倒車が続出⚡️
棚ぼたで3位入賞でした✨
みんな、僕達のチームの車両代込みで10万円という価格を聞いて凹んでましたw🤣
そして、私が腰痛になったレースは、YAMAHAのYSR80というバイクで、富士スピードウェイの本コースを100台のYSRが走る『スーパー耐久レース』でした。
レースの1周目のコーナーで、10台先のバイクが転倒しました。
相手を避けようにも100台のバイクがダンゴ状態の為に、逃げ道がなくて避けられず衝突⚡️🏍
その後、私とバイクは宙を舞い転倒。
あっ!と思った矢先に5台のバイクに轢かれて、最後の1台のバイクが私の腰に落ちてきました。
レース開始早々で30台ほど転倒。
そのうち半数以上がリタイヤ。
私のバイクは、宙に舞った後にハンドルから落下したらしく、カウルの中にハンドルが入ってしまいタイヤが前を向きません。
普通ならリタイヤですが、1周目も走り切らずにリタイヤなんて、東京から高いエントリー費を払った意味が無くなる!
私は、一か八かカウルに向かって全力で蹴りを入れてカウルを破壊して、曲がったハンドルのままピットまで走りました。
私のバイクを見て、次のライダーと仲間はビックリ‼️
ハンドルは曲がりカウルは割れて、私はボロボロ…。
そして、よく見るとバイクのシートの後ろからシートフレームが…。
まるで暴走族の族車の段付きシートみたいにエビぞってました🍤
バールで強引にハンドルを補修して、そのまま第二ライダーにチェンジ。
その時点で既にトップと1周差…。
しかし、そこから怒涛の追い上げ。
何と、私たちが1番のトップタイムを連発して、遂にトップ車両を抜き去り同ラップに!
しかし、善戦もそこまで…。
結局、20位ぐらいでゴールしました。
たらればですが、あの時に転倒しなければ優勝も…🏆😅
そして、走り終えた後にツナギを脱いでみたら…、腰がサクッと切れていて出血していました💧
そこから、私と腰痛との付き合いが始まりました。←軽い椎間板ヘルニアらしい💦
結局、その後はジュニアクラスに昇格して、プロレーサーの卵たちと戦いました。
色々なレースに参戦してましたが、とにかく青木三兄弟は流石に異次元の速さでした。←のちにGPレーサーとして世界に羽ばたいた人
彼らと走って引退を決意しました💧
次元が違い過ぎましたw
今となっては良い思い出です。^_^
まぁ、未だに腰は痛いですけどw💦
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