連想と編集と方向感覚

ジェフ・ホーキンズの「脳は世界をどう見ているのか」と松岡正剛の「知の編集術」を比較しながら読んでいるが、大変興味深い。

「脳は世界をどう見ているのか」では、人間の言語や抽象思考というのは、脳の空間座標と相対座標の予測モデルを常にアップデートしながら参照していくことで成立していると論じている。

「知の編集術」では、情報の地と図をつくることが大事で、事前に用意している地の情報と、目の前の状況の特徴を読み取る図の情報があり、それらの情報を相互的に共振させながら内容を好きな方向に進めていくことで編集、すなわち思考が進むと言っている。

神経科学的なボトムアップのアプローチからの脳の思考メカニズムの考察と、どのようにすれば人間はより良く考えられるかという方法論を分解するトップダウンのアプローチからの思考術が一致し始めているのが非常に興味深い。

人間の意識的な思考は、無意識下での強制的な連想に基づいていると想像している。瞑想をしてみた人はわかるだろうが、何も考えないということを自分に強制するのはとても難しい。考えないようにしても、次々に雑念が浮かんできてしまう。瞑想をしなくても、色々思い悩んでしまって眠れない夜、あるいは風邪などで高熱にうなされているときにうつらうつら悪夢というか嫌な思考にさいなまれる感覚である。

つまり、良い思考とは、無意識で行われる数多くの連想の中から、より良い連想を選び、次の連想につなげることの連続ではないかと考えている。よりよい連想を選ぶためには、思考の地図の中からより良い方向性を選ぶことなのだと思う。そして、勉強とはよりよい思考の地図を作ることにほかならない。

AIによる作文の様子をみると、他人の連想の平均値をとるように連想するだけでそれっぽい文章は書けてしまうことが見て取れる。このような文章はネットに溢れていて、すでにかなりの量がAIによって生成されているのだろう。

大多数の他人と同じ思考は、もう機械が行ってくれる時代になってしまった。自分ならではの思考地図を作れない限り、考える人間としての価値は薄れてしまうのだろう。



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