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出来ないことはやはり出来ない

自分の意見を持つことはとっても大切。だけど、伝え方ってもっともっと大切だと思う。

漠然とずっとこう思ってはいたのですが、それが最近確信に変わりました。「あ、やっぱそうだよな」って。

みんな、それぞれ少なからず自分の意見を持っていると思う。それは、言葉を変えれば「価値観」とも言えるし、「正義」とも言える。

最近、snsでフォローしていた方が自分ではない誰かを否定するような形で自分の意見を述べていた。確かに、その方が言いたい事もわかるし、否定されていた人は、私のことなのではないか?と思ってしまうぐらいに自分のなかの弱い部分とリンクしてしまうところもあった。


と、同時に。

もっと言葉や文章を選ぶことはできなかったのだろうか?ととても怖くなってしまった。

そう、わたしはきっと怖いのだ。

何が怖いのだろう。それはきっと自分のなかの弱い部分を公の場で否定されているような気がしたからだ。

自分の悪い部分、常識的に抜けている部分、成功者は持っている人脈だったり、人格だったり、それらを持っていないわたしのことを見透かされ、公の場でオブラートに包んで晒されているのではないかと思ってしまうからだ。

だから、わたしはそういう人と対面すると、とても怖いのだと思う。中途半端な自分を見られているような気がしてしまう。


弱い部分や欠けている部分すらも、受け止めて欲しい。うんうん、出来ないよね。わかる、わかる。そんな風に、勝手ながら、人間関係にそれを求めてしまう。

だから、静かにフォローを外してしまいました。


自分の意見を持っているとは言え、そうじゃない人を否定しない。まるごと愛する。

やっぱり、わたしはそうして生きていきたいな



アドラー心理学を知っていて良かったな。笑

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