クローバー型ジャンクション、羊と狼、ここではないどこか(2023年11月11日の帰路の日記)
私の30mほど前に一人の男性が、私の20mほど後ろに一人の女性が、私の0m地点に私が、それぞれ同じ方向に歩行していた。イベント会場を出て、一般的には公共交通機関で帰路に着くことになっているが、私は何だか歩きたい気分だったのでぶらぶらと徒歩でなんとなく都心の方向に歩行しており、当該男性と当該女性が私と同じ考えだったかはわからないが、とにかくイベント会場を出て公共交通機関を利用することなくぶらぶらと歩いている者たちであった。
近頃では私は、よく歩いている。自転車で近所のスーパーマーケットに買い物に行くのを敢えて徒歩にしたり、日が沈んだ頃に特に目的もなく近所をうろついたりしている。おそらく、自分の人生を自分でコントロールしている感覚を得たいのだと思われる。
私の30mほど前を歩いている男性は時々立ち止まり、スマートフォンを掲げて写真を撮っている。我々の差し当たっての歩行先はクローバー型ジャンクションに跨る歩道橋であり、男性が撮影するその被写体は眼前に広がるクローバー型ジャンクションと思われた。クローバー型ジャンクションというのはきわめて輸送効率の悪いジャンクションの一つである。なぜ輸送効率が悪いかと言うと、①クローバー部分4箇所がそれぞれきついカーブになっているため減速を余儀なくされるから、②合流地点の先に分岐地点があるから、である。①はわかるとして、②の何がいけないかというと、たったいま合流した車とこれから分岐したい車が同じ車線で別の目的で混在することになり、無駄な渋滞を引き起こす要因になる、というわけだ。そして、これは裏技だが、合流地点の先に分岐地点があるということは、合流して本線に入らずにそのまま分岐し、その合流先でまた本線に入らず分岐し、を繰り返すことで我々は一生そのジャンクション内をぐるぐるしていることができる。夢のような話だし、悪夢のような行為である。暇があったら試してほしい。私もクローバー型ジャンクションの写真を撮りたいところだったが、うまい撮影ポイントを見つけることができず、断念した。当該男性は彼自身の中でのうまい撮影ポイントを見つけられたからこそ写真を撮るという行為を発動できたわけで、それは羨ましいことであった。
クローバー型ジャンクションを跨いでしばらく歩き、私の前を歩いていた男性は私が考え事でもしている間にいなくなっていたが、私の後ろを歩いていた女性は依然として私の後ろを歩いていた。私はいま歩いているここがどこなのかさっぱりわかっていないため、スマートフォンの地図を見ながらそれっぽい方向に歩いていた。地図を見ながらたどたどしく歩く私を後ろの女性はそのうちに追い抜き、私の後ろを歩いていた女性は私の前を歩く女性になり、そのうち見えなくなった。
このまま歩いていくと平和島という地下鉄の駅があるっぽく、そこで鉄道に乗るという手もあったが、私は都内の地下鉄網がどのようになっているのかさっぱりわかっておらず、わからないということは、気付いたら全く知らない場所に運ばれているということも全然あり得るわけで、それは嫌だなと思い、地下鉄に乗るのはやめにして、せめてJRの駅までぶらぶら歩くことにした。
知らない場所をぶらぶらと歩きながら、知らない場所をぶらぶらと歩くのもいいものだな、と私は思った。よく晴れていた。ここはどうやら埋立地らしい。埋め立てられる前は海があったのだと思う。海を埋め立てて安全な陸地にするというのは途方もない作業だったはずだ。完成するまでには、海に溺れたり、鮫に食われたり、よくわからない事故が起きたりして死者が出たかもしれないし、ヒヤリハットで死を免れた人もいたかもしれない。その途方もない作業に一つも関わることなくこの埋立地をのっしのっし歩ける幸福に、私は一つも感謝することなくのっしのっしと歩行した。
ラーメン屋があった。「羊と狼」というお洒落な店名で、お洒落な店構えであった。私はスマートフォンを取り出し、店名を検索し、評判を確認し、入店した。先客は2名いた。入店してから、「知らない場所をぶらぶらと目的なく歩くのもいいものだな」という感慨を感じている者が、ラーメン屋に入店する決め手として他人のレビューを参考にするのは果たしてどうなんだろうと疑念を抱いたが、既に醤油ラーメンの食券を買って着席していたためどうすることもできず、取り返しのつかない疑念であった。一人の客が扉を開けて退店し、その扉を開けたまま去っていった。厨房から店主が出てきて、開いたままの扉を閉めた。醤油ラーメンは5分ほどで着丼した。魚介系のあっさりスープであり、店名にあるところの羊と狼の風味は全く感じられなかった、という陳腐なことを記述しようかどうか迷った挙げ句、結局は記述したためこうなった。近頃のラーメンのトレンドとして、チャーシュー、鶏胸肉を低温調理したような白くて柔らかいやつ、の2種類の肉が乗っていることが多いように思われ、このトレンドはどこ発祥なんですか? と私は店主に聞かなかった。この店の鶏胸肉を低温調理したような柔らかいやつは出汁と思われるやつで絶妙に味付けされており、非常に美味であった。「ごちそうさまでしたー」と言い、扉を開けて退店し、扉を閉めた。扉だけは閉めようと思っていたので、それができてよかった。
このまま然るべき方向に歩いていくと大森駅というのがあることが地図から読み取れたので、大森駅を目指すことにした。京浜東北線が走っている駅とのことだ。私の記憶によれば京浜東北線は東京駅に停車し、これも私の記憶によれば東京駅を通過する電車はないから、大森駅で東京駅方面に向かう適当な京浜東北線にどれでも乗れば東京駅に辿り着くことができるだろう。時刻はまだ14時過ぎであり、せっかくなのでどこか観光などをしてもよかったが、特に行きたい場所もやりたいことも思い付かず、そのまま帰ることにした。
東京駅のプラットフォームで自宅方面へ向かう電車を待っていた時、やはりこのまま帰るのはもったいないような気分になり、しかし特に行きたい場所は依然として思い付かず、別の電車で遠回りをして帰ろうと思った。今朝、ここではないどこかに行こうと思って都内に来たため、もう少しだけここではないどこかにいたい気分だった。私は並んでいたプラットフォームを立ち去り、代わりに中央線に乗った。中央線は程よく混雑しており、座ることができなかった。どうせ新宿で皆降りるだろうからその時に座ろう、と私は思ったが、電車は新宿に着き、なぜかほぼ誰も降りなかった。新宿で誰も降りない鉄道の状況を観測するのは史上初であった。みんな新宿のこと嫌いになっちゃったのかな。むしろ乗り込む乗客が多く、車内は窮屈さが増した。しばらく車内はそのような状況だったが、どこかの駅で大量に人が降り、ようやく座ることができた。どこの駅だったかは忘れてしまった。
八王子駅で乗り換えのために降りた。八王子というのは私がかつて何かから逃げるように都内に潜伏していた際に1ヶ月ほど滞在した街であるが、今となってはどのような街だったかさっぱり覚えていない。きっと潜伏していたためだろう。そして私は、またしても何かから逃げるように、ここではないどこかに行こうと思って八王子の地に降り立ったというわけだ。乗り換えまでには少し時間があるし、それでも改札を出て観光するほどの時間はないし、どうしようかな、暇だなと我が身を持て余した。あのまま東京駅から自宅に帰ったら早く家に着きすぎて自宅で身を持て余すだろうなと思って、こうして遠回りで帰っているわけだが、私は、この遠回りした先でも身を持て余してしまっている自分を発見した。ふと、八王子に来てしまったら八王子が「ここ」になるわけで、人は何があってもどこへ行っても「ここ」からは逃れることができないのだな、という身も蓋もない空疎な事実に私は気付いた。気付いた、というか、たぶん私はそれを元々知っていて、日常に支障が出ない程度でちょっと悪あがきをしたかっただけかもしれない。蕎麦屋があったので蕎麦でも食べようかと思ったが、全く腹が減っていなかったので蕎麦を食べなかった。
帰りの車内にてイベントで買った本でも読もうと思ったが、眠気がひどく、一頁も読むことができなかった。2時間で帰れるところを遠回りして4時間かけた。suicaは4時間の道のりで乗車したことを認識しておらず、2時間の道のりと同じ料金であった。帰宅し、やるべきことがあったが、先に延ばせるだけ先延ばしにし、これ以上先延ばしにしたら忘れる、というギリギリの時点でやるべきことをやった。日付が変わる頃に寝た。スムーズな入眠であった。次の日は珍しく起きるべき時間のギリギリに目覚めて、慌ててアルバイトへ向かった。長く続けたこのアルバイトは今月で終わりになるから、もう慌ててアルバイトへ向かう必要もなくなるだろう。
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