全部全部分かりあえっこなんかない
100%誰かに分かって欲しい。自分の寂しさとか意固地になっちゃうところとか全部全部誰かに分かってほしい。
知らず知らずのうちにそう思っていたかもしれない。いや、今でもたまに思うのかもしれない。その度に、そんな人いないや。。。となぜかすごく孤独に思えてくる時がある。寂しいな、寂しいなって。
ときどき、りんごをぼやっと思い浮かべることがある。深紅のりんご。でもきっと、わたしが見ているりんごの赤と、あなたが見ているりんごの赤は違う。もしかしたら赤ですらないかもしれない。あーあ。りんごですら同じ色に見えないのかー。
その瞬間、100%分かりあうなんてできっこないという、うすうす気付いてはいたものの、気付かないフリをしていた言葉が実感を持って襲ってくる。
まじめに考えたら至極当然な事実だ。四六時中自分と一緒にいて自分と同じ体験をする人はいないのだから、100%分かりあうなんてそもそもできない。自分の人生の一瞬一瞬を体験しているのは自分だけなのだから。
というか、100%理解してほしいなんて本当は願っていないんだと思う。「全部分かるよ。うん分かる」なんて、言われたくはない。
でも心のどこかに1ミリくらい分かってほしいなという想いもある。考えれば考えるほどおかしな話だ。
分かってほしいという想いと分かりあえないと事実を抱えながら、生きていくんだなぁと思う。「分かりあえなくてもいいや」って思える日は来るのだろうか。それともたまに分かりあえる瞬間を見つけたり、分かりあえたつもりがそうじゃなかったりと、一喜一憂していくのだろうか。それが分かるまでもう少し足掻こうと思う。
冷凍庫をハーゲンダッツでいっぱいにします!