髪を切るという行為
「できるだけ量を減らしてください。前髪は目にかからないように。それと、後ろは出来れば刈り上げ風で。」
それがわたしの美容室での決まり文句だった。
わたしにとって、髪を切るという行為は作業でしかなかった。伸びてきたから切る。顔の周りでチラチラと邪魔だったから切る。「こんな髪型にしたい」という期待値も少ない分、ガッカリすることもテンションが上がることも少ない。
今思い返せば「髪を切るという行為は作業だ」というのは強がりだったのだと思う。そう強がるしかできなかったのだ。
原点は小学生時代。小学校の高学年にさしかかるころ、わたしは図らずも一匹狼になってしまった。好きで一匹になって遠吠えしているタイプの狼なら良いのだが、わたしはしょぼくれた狼だったので、その頃から自己肯定感も一緒にしょぼくれてしまった。
それでも日々をやり過ごさなければいけない。「何とかしなければ…!」と思って、わたしが選んだのは「自分に見切りをつける」だった。
スーパーのお惣菜につけられる半額の値引きシールを、自分にペタペタと貼っていくようなイメージ。値引きされた状態なら、自己評価も高くないから、傷つくことも少ない。値引きシール作戦は、わたしにできる精一杯の防御策だった。
そんなシールの餌食になった1つが「見ため」だった。
わたしなんかがかわいくなりたいなんておこがましいよね。
自分が努力して得た「かわいい」まで否定されたら、きっと泣いちゃう。
それならいっそのこと、そんな希いなんて持たないほうがいいよね。
わたしは「かわいくなりたい」という気持ちにそっと蓋をした。
そして、髪を切るという行為は作業になった。
冒頭の決まり文句以外にも、よく使うフレーズはいくつかあった。
部活で汗をかく季節だから、夏っぽくサッパリした感じでお願いします。
童顔で子どもっぽく見えちゃうから、大人っぽい感じでお願いします。
何を頼むにも理由が必要だった。
それっぽい理由を毎回くっつけていた。
でも「夏っぽくサッパリした感じ」も「大人っぽい感じ」も若干自分の意志が見え隠れしている。いや、今書いていて思ったが全面的に見えている。どうやら見えていなかったのは、当時の本人だけらしい。
***
大学生になったころ、値引きシールを貼りまくった自分が嫌になった。自分の中で水風船のように何かがはじけた。長いあいだ忘れていた素の自分に再会した。
やっぱり、かわいくなりたい。
綺麗になりたい。
そういう感情に素直でありたい。
ただ純粋に純粋にそう思った。
値引きシールが剥がれ落ちた瞬間だった。
わたしはドキドキしながら美容室へ向かった。髪を切るという行為は今まで作業でしかなかったから、どうすればいいのか分からずマゴマゴした。
かわいいなんてわたしに似合うのだろうか。何か思われたりしないだろうか。言っちゃおうか。いや言わまいか。言っ…いや…ええい!しゃらくせぇ!言っちゃえ!!!
「かわいい感じに…してください…。」
耳を真っ赤にしながら、美容師さんにそうお願いした。美容師さんは特に気にとめることもなく、ニッコリしながら髪にハサミを入れ始めてくれた。
あっ、こんなに簡単なことなんだ。別に恥ずかしいことでもないんだ。なりたい自分の姿を言ってもいいんだ。
そこから美容室はわたしの希いをほんの少し叶えられる場所になった。
髪を切るのが楽しくなった。
美容室はなりたい姿を口に出せる場所だ。
美容師さんの魔法を借りて、なりたい姿にわたしはちょっと近づける。
次に髪を切りに来るまでに、相応の自分になっていよう。
そしてわたしはまた髪を切る。
冷凍庫をハーゲンダッツでいっぱいにします!