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八田真行「女性を避け、社会とも断絶、米国の非モテが起こす「サイレントテロ」」を読む(再)

 前回の再録の続きの再録です。
 巷では「弱者男性」という言葉は卑怯だと泣き叫ぶ左翼が話題になっておりますが、ぼくとしては「インセル」、「ミグタウ」という言葉の方が卑怯だと思うので、それを批判したのが本稿となります。
 初出は2018年7月27日、つまり五年前。

 また、映画『バービー』についての『WiLL Online』様の記事も長らくランキング一位を独走しておりますので、未読の方はどうぞ!

 では、そういうことで――。

*     *     *


■基礎編

 さて、前回ご紹介した、八田師匠の記事の続編とも言うべきものを、今回は俎上に上げたいと思います。
 前回、「この続編では師匠の目論見が男性たちの苛烈な現実に脆くも崩れ去る……とでもいった想定外の展開を迎え」ると書きました。
 というのも続編においては、「インセル」を超える非モテ、「ミグタウ」について言及されるからなのです(以降、師匠の最初の記事は「インセル編」、今回お伝えする続編を「ミグタウ編」と呼称します)。
「ミグタウ編」のポイントを挙げると、以下のような感じでしょうか。

・反フェミニズムとしてメニズム(menism)、或いは筆者の観測範囲では、メンズ・ライツ(男性の権利)運動、あるいはメンズ・ライツ・アクティヴィズムの略でMRAと呼ばれるものがある。これらのコミュニティは男の世界、マノスフィア(manosphere)とも呼ばれる。
・彼らの用いる概念に「ブルーピル」、「レッドピル」というものがある。『マトリックス』からの引用で、前者を飲んでいる間は夢の中にいるが、後者を飲むと覚醒する。この世が女性支配社会であると気づいた我々はレッドピルを飲んだのだ、といったところ。ちなみにこの言葉を使った最初の人物はオルタナ右翼である
・MGTOW(ミグタウ)とはMen Going Their Own Wayの略で我が道を行く男たち、といった意味。

 ちょっと長くなりますが、ミグタウについてさらに引用してみましょう。

MGTOWの基本は、女性と付き合うのはコスト的にもリスク的にも割が合わないという考え方だ。MGTOWにとって、女性は男性を食い物にする捕食者であり、男性の自己所有権を侵害する存在と見なされる。

ところで、MGTOWにはこじらせ具合に応じてレベル0からレベル4まであるという。

レベル0は、先に出てきたレッドピルを飲み、この世は女性に支配されている、という認識をとりあえず得たという段階である。
レベル1では、結婚のような女性との長期に渡る関係が棄却される。
レベル2では、女性との短期間の関係も排除される。
レベル3では、生活に必要な最低限の収入を得るための仕事を除き、社会と経済的な関係を絶つ。
レベル4では、そもそも社会との関係を絶つ。自殺も選択肢に含まれる。

 何しろこの世は女性支配社会なのだから、そこからの徹底した撤退こそがミグタウの本質なのです。

MGTOWを巡る議論を見ていると必ず出てくる話が、日本の影響である。筆者がMGTOWについて最初に目にしたとき、日本のherbivore menと似たものであるという説明があった。

herbivoreとは草食という意味で、ようするに「草食系男子」のことである。また、先に出てきたレベル4のMGTOWはGoing Monk(僧侶になる)とかGoing Ghost(幽霊になる)と呼ばれるが、Hikikomoriと呼ばれることも多い。

 ここから見えてくるのは、リベラル様たちが「インセル」という「屠殺してもよい、自分たちの快楽殺人のための弱者」を見つけ出したつもりが、よくよく見ると「ミグタウ」という屠殺する大義名分を見つけることのできない男性像こそが、むしろその本質であった、という皮肉なオチでした。
 そう、まさにタイトルが象徴するようにミグタウは(仮に女性に憎悪を抱いているとしても)そもそも女性から離れようというのがその本質なのですから。上にも「僧侶」、「絶食」としたように、もはや性的にも経済的にもほとんど息をひそめるようにして生きる、「ゴースト」とも言われるのが、彼らの本質なのですから。
「インセル編」における「インセルはピックアップアーティストと同じだ」論は、フェミニズム論者のよく使う、「どっちもモテたいと思っているから同罪」という呆れるほどに雑なロジックでしたが*1、実際のところ、男たちは既にそうした詭弁ですら叩けないほど、乾いた雑巾のような状態に陥ってしまっていたのでした。
 事実、「ミグタウ編」はボリューム的にも「インセル編」より少なく、師匠自身の主張もほとんど見られず、本当にただ事象を並べているのみです。ここには、弱者を「女を与えよと主張する女性差別主義者」であると強弁し、いたぶろうとしていた八田師匠が現実を見て、絶句している様子が見て取れます。言ってみれば師匠の、敗北の様子の実況中継なのです。何せ記事の最後は以下のような文句で締められているのですから。

しかし、フェミニストやジェンダー論者が一所懸命やろうとしてきた男性性の解体を、日本の影響を受けた、それも「反」フェミニズムが変な形で実現しつつあるというのは、なんとも皮肉なものではなかろうか。

 そして何より絶望的なのは、こうしたミグタウの在り方こそ、むしろ日本の非モテの在り方とぴたり重なるという点です。
 上に「草食系男子」との関連性について言及されていますが、むしろそれからの派生語、「絶食系男子」を想起せずにはおれません*2。「hikikomori」も日本由来ですし、「僧侶」「幽霊」といった概念は本田透氏の主張した「護身」の概念とやはり、「完全に一致」します。また、女性との関係にメリットがないとする説は、かつての2chのコピペ「結婚は一億円の無駄遣い」を想起させるものでしょう*3。
 そして、(引き籠もるとか死ぬとかには賛成できないものの)これらのロジックは正しいと、ひとまず評価せざるを得ない。

*1 以前、togetterでフェミニストが相手を「童貞」と罵ることを差別的だと批判され、「(その人物はともかくとして、ほとんどの)フェミニストは童貞を差別したりはしない、むしろそれを真っ先に批判したのがフェミニストだ」と反論している人がいました。尋ねてみると、「性行為を競う男性的価値観こそがけしからぬ」という論法を展開したのがフェミニズムである、との応えが返ってきて、ひっくり返ってしまいました。餓死寸前の人間に「カネより尊いものがある」と説いて、「人を貧しさから救った」とイキってるのといっしょです。こうした無意味な「ちゃぶ台返し」こそフェミニストの得意技です。
*2 また、この「草食系男子」そのものが、当初はフェミニスト女子、深澤真紀師匠が「フェミニンな今時の男子」というポジティブな筆致で描いたものが広がり、いつの間にか「男性性に欠けるだらしない男」というネガティブな像にすり替わった、という経緯を持っています。それは「インセル」という「虐殺用弱者」をよくよく見ると「ミグタウ」という「殺す口実の見つからない弱者」であったという、八田師匠の「オチ」を丁度逆にした形でした。
*3 以下です。
 ちなみに久し振りにこれを見直そうと検索したところ、(KTBアニキも引用していた、デタラメにまみれた)「女にとって結婚は二億の損」という記事ばかりがヒットして、頭がクラクラしました。

結婚を迷っている若き独身男性諸君、結婚ほど馬鹿馬鹿しいものはない。
今の20代、30代の女は「どうやって男にたかるか」を必死に考えている。
だまされるんじゃないぞ。



結婚を迷っている若き独身男性諸君、結婚ほど馬鹿馬鹿しいものはない。
今の20代、30代の女は「どうやって男にたかるか」を必死に考えている。
だまされるんじゃないぞ。

「男にとって結婚は1億円の無駄遣い」

実際は1億どころじゃ済まない。子供一人につき、4000万の出費。
(0~22歳までの養育費、教育費、その他雑費)。

男は結婚した瞬間に、30年間の強制労働が約束される。
男は結婚した瞬間にどんなにがんばって稼いでも、
自分で使える金額は1日数百円程度になる。
どうしても買い物がしたければ、妻に頭を下げて「お願い」する。
そして「無い袖は振れません」と、あっさり却下される。

稼ぎのほとんどを、ガキと女が「当たり前のように、何の感謝もなく」吸い尽くす。

昔と比べて家事は極めて軽労働になった。
ご飯=<昔>釜戸で1回1時間を1日3回→<今>電気炊飯器でスイッチ一つ。
洗濯=<昔>たらいと洗濯板ですべて手洗い→<今>全自動洗濯機でスイッチ一つ。
風呂=<昔>薪で炊くたので常時火加減が必要→<今>ガスまたは電気給湯器でスイッチ一つ。
買物=<昔>原則毎日→<今>冷蔵庫の普及でまとめ買い可。
にも拘らず、家事を面倒だという女が急増。そんな女の為に汗水垂らして働く男。

こっちは仕事で疲れて帰って来てるのにセックスだけは意欲的に求めて来る妻。
断わると愚痴。
美貌を維持する気ゼロでぶくぶく太るくせにセックスだけは意欲的に求めて来る妻。
断わると愚痴。
そのうち趣味や男に走って「亭主元気で留守がいい♪」とかほざき始め、
生活費だけ要求してくる妻。
こっちの浮気がバレると、待ってましたとばかりに離婚を申し立て、親権を欲し、
慰謝料と財産の一部をふんだくりにかかる女。

昔は男にとって結婚も妻も「必要」だったかもしれない。
でも今は「人生の不良債権」にすぎない。
コンビニやインターネット、風俗関係も充実した今、男達よ、もう結婚しなくていいんだよ。

■追想編


 さて、前回記事では上の現象について、八田師匠が必死になってアメリカ人のクシャミの様子をレポートしているものの、日本では既に風邪が完治してしまっていた……と形容しました。この「完治」という言葉、何だか問題が解決したかのような印象を与えますが、もちろん日本でも非モテ問題が解決を見たわけではなく、むしろ悪化の一途をたどっています
 では何故、ここで「完治」などという言葉を使ったのか。
 ちょっと話が前後しますが、前回記事に書いたように、「インセル編」はニコ生の岡田斗司夫ゼミでも採り挙げられました。岡田氏の評は冷静で的確なものだと思うのですが、実のところ、大変残念なことに、ニコ生視聴者のコメントは(「俺たち」に近しい層であるはずにもかかわらず)インセルについて非常に冷淡でした。
 まあ、以下のような感じです。

■詳しくは(http://www.nicovideo.jp/watch/1531734128)を。有料ですが。

 インセルたちは自らを革命家であるとイキり、リベラル様は彼らをおどろおどろしく描写し、社会不安を煽り、本を売ろうとしていますが、実のところその両者とも目論見が外れるということがもう、「日本での社会実験」により答えが出ているのでした。
 そう、彼らの未来は以下のようなものに終わるのです。
 1.今さらであり、「またか」とだけ言われる
 2.「みっともない」と嘲笑される
 3.萌えアニメを見ろと強弁される
 この3.までを、ぼくたちは既に通過しています。
 つまり、ぶっちゃけ、「非モテ」問題は既に日本では「消費され、飽きられ、沈静化して、ニヒリズムを持って迎えられている」のです。上に書いた「完治」は即ち、そういうことです。
 仮にですがもし今、本田透が復活しても、恐らくはこれらのようなリアクションを持って迎えられてしまうのではないでしょうか。
 それは、何故か。
 一例ですが、「ミソジニー」という言葉が鍵なのではないでしょうか。
 ここしばらく、ツイッターでリベラル寄りの御仁が「十年前まではリベラルが表現の自由を守っていたんだ」と主張しているのを、立て続けに目撃しました。いえ、二、三人が言っていたのを見ただけなのですが、何だか申しあわせたようで、笑ってしまいました。もちろん、フェミニストなど左派はずっと表現の自由を脅かし続けて来たというのが本当のところなのですが、例えば「ミソジニー」といった言葉を振りかざしてのフェミニストの大暴れは、かなり近年のことです。
「セクハラ」は男性からの女性への働きかけを任意で有罪化することの可能な「攻撃呪文」でしたが、「ミソジニー」は直接の働きかけのみならず、発言をも「女性差別」として攻撃することを可能にした新たな呪文です。いえ、「セクハラ」も充分、発言そのものに対応した呪文ではありましたが、例えばネット上の不特定な「女性」についての発言、或いは萌えキャラといった非実在女性を巡る事象すらもジャッジできるという点において、「ミソジニー」は新たな効果を持った攻撃呪文であると言えました。
 つまり、上のリベラル様の言は「丁度十年ほど前に、ミソジニーという攻撃呪文がフェミの口に膾炙してきた」ことを意味しているのではないでしょうか。
 そして、この「ミソジニー」という言葉は――いかなる学術的バックがあるのか、どういう経緯で広まったのか、いまだわからないのですが――本来の語義としては、単純に「女嫌い」、「女性憎悪」以上の意味はないはずなのですが、どこかに「モテたいくせに、モテないから逆切れで」という意味あいが含意されています。否、そもそも恐らく学術用語でも何でもないこの言葉をフェミニストが多用するうち、「実は彼らは女にモテたいのだ」とのフェミニスト自身の被愛妄想の照り返しを包含し、いつしかそのような「フェミ妄想用語」としてのニュアンスを持つに至った、とでも考えるのが正解ではないでしょうか。そうした「ニュアンス」がリベラル君などのインテリ層に共有されるにつれ、「弱者男性」側にも照射されるようになった、という経緯ではないかと思われるのです。それはつまり、ぼくたちが「男性の主張は許されず、全てが女性によって代弁される」という前回にもご紹介した、この社会のルールを遵守したことの結果でした。
 そんな折に、秋葉テロ事件が起きた。
『電波男』にケンケンガクガクしていたお歴々も、その辺で「やっぱり非モテは悪者扱いにした方が」というムードになる。或いは、この事件自体が前にも書いたように「非モテ問題」から「格差問題」へと話をすり替える機能を持っていたかもしれません。「非モテ」を「ロスジェネ」みたいな文脈で扱いたい者は、大喜びでそっちの「切り口」へと飛びついたことでしょう。それはつまり、「非モテ問題」を語り出すとフェミニズムの責任を問わざるを得ず、進退に窮していた者たちの、「何か、格差問題だから、悪いのは阿部さんとかだよ」との見事な問題のすり替えでした。まあ、当時の総理は福田さんでしたがこの後、政権が交代していることは直接の関係がないとはいえ、象徴的ではあります。
 そもそもが『電波男』は自分を客体視する冷静さ、知性を持っていました。まあ、正直、非モテ論壇はそうとは言い難い人が多かった印象ではありますが、逆に言えばここでようやっとぼくたちは「言説」という武器を手に入れることに成功したのです。そこを秋葉テロは(ドクさべ同様)幼稚なテロリズムへと後退させてしまった。同時に「ミソジニー」という言葉が貼りつけられ、非モテは一機に陳腐化してしまいました。
『電波男』など、確かに女性に対する辛辣な側面もあったとはいえ、基本は「女性を得られないことに耐えていこう」とする極めて理知的な書で、これを「ミソジニー」とするのはどう考えても当たらないと思うのですが、そうした細かいことは斟酌されないままに、「しょせん、モテたいヤツのひがみだ」とただ嘲笑することがポリコレになった。いや、「モテたい者のひがみ」も何も、同書はそこを自覚し、認めた上でそれを超克しようという提案だったのですが、そうしたムツカシいことは忘れ去られ、電波男はただ、打ち捨てられました。

■未来編

 先に上げた岡田斗司夫ゼミのコメントを見ると、それはまざまざと伝わってきます。そこに溢れているのはドクさべを見た時と同じ、「コイツとだけはいっしょにされたくない」という畏れの感情です。
 そしてまた、「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」はこれに乗じ、「本田透の再利用」を図りました。本田氏の本意は「愛を求め、しかしそれが得られないとなった時、萌えにより自らを慰めつつ、凛と立つ」ことの勧めでありました。更に言えば彼の主張は「テロに走らないための戒め、ストッパーとしての萌えを大事にしよう」というものでもあります。ちなみにこの指摘、時々kinokoがしたものであるように書いていたのですが、最近、その時の記録を読み返し、ぼく自身から出た言葉であることに気づきました
 しかし、本田氏はその存在を抹消されました。本当の事情はぼくには知り得ませんが、彼の後期の作からはバッシングを受け、ウンザリしている様子が見て取れます。
 そして本田氏を殺した者たちは、本田氏の精神性を全て踏みにじった上で、その死体をゾンビとして蘇らせ、フェミニスト様への生け贄に捧げたのです。詳しくは以前の記事を読んでいただきたいところですが、(本田氏の、オタクの内面を一切無視した上での)「オタクは二次元で充足しております、フェミニスト様には逆らいません」発言ですね*4。それは同時に、「男が心を持つことなど許されていない」というこの地球の掟への、彼らの高らかな恭順の誓いでもありました。
 まとめましょう。
 当記事の前半で書かれたのは、八田師匠の敗北の様子でした。
「インセルは悪者だ」と嬉々として語っていた師匠が、実はミグタウという存在を知り、振り上げた拳の降ろしどころに困っておたおたしている場面のご報告でした。
「やった、俺たちの勝利だ!!」
 いえ、それが残念なことに、全く違うのです。
 後半でご説明したのは、「俺たちが既に、前から、ミグタっていた」事実についてであります。そして、そんな俺たちを指さし、自分をオタクだと思い込んでいる一般リベが、フェミに「オタクはjpgで満足してございます」と報告をした事実についてでした。恐らくフェミ経由でそのことは阿部さんにも伝えられ、阿部さんが捻出しようとしていた「非モテ援助金」は「何か、フェミと自分をオタクだと思い込んでいる一般リベのおやつ代」に化ける。
 それともう一つ。
 純朴に敗北宣言までをも記事にした八田師匠はある意味、誠実な方です。
 しかしおやつを食べておなかいっぱいになった彼ら彼女らは「ミグタウ」でしかないぼくたちを「インセル」であると強弁し、屠殺するという振る舞いに、これから出るのでは――否、既にそれはあちこちで現実化しているのではないでしょうか――。

*4 敵の死体を兵器利用するなんて、ゾンビマスターみたいで格好いいね!
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