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唐沢俊一論――評論家に戮された人たち

 オタク評論家というか、オタク界隈の大物であった唐沢俊一氏が亡くなりました。
 心臓発作による急死とのことで、早すぎる死は惜しまれますが、同時に「むしろ餓死に近い」とも囁かれており、そうした晩年の惨状を知らされるに至っては絶句せざるを得ず、ことに近親者の告白は衝撃的なものでした。
 本件に関してはXで少し書いたのでもういいやとも思っていたのですが、「アンチ」の言動を見て、やはり永続的に残る形にしておいた方がと感じ、ここにまとめておくことにしました。
 そんなわけで少しヤバい話は課金制にします。
 あくまで「ヤバい」はぼく個人にとっての話であり、ことさらに裏事情などが明かされるわけではないので、そこはあくまで文章を面白いと思った方にだけ、お勧めします。
 では、そういうことで……。


・オタクを戮したい者たち

 まず、上にも書いたように近親者の言からすると、氏の晩年はお世辞にも誉められたものではなく、また惨憺たるものであったことが窺えます。
 ただ、同時に氏はサブカル界隈に悪評をばら撒かれていた人でもありました。
 唐沢俊一と言えば「盗作」とのワードが返ってきますし、それも否定できないのですが、「無断引用」とも言われたように(というか、確かご当人がそう表現していたと思います)、実態は「盗作」と言われた時に想像するものとはかなり隔たったものだったのです。
 問題になったのは『新・UFO入門』という新書。没後のポストにも、この本が丸々パクリで書かれたかのように言っているものもありましたが、実際のところ、とある小説についての要約の数行が、個人ブログからコピペされたものであったことが問題になったのです。こう聞くと、なあんだと思われた方も多いのではないでしょうか。
 例え数行でも、また要約であろうとも許されることではありませんが、それにしても他者のアイディアを自作のように装うという意味での盗作ではない。いくらかのペナルティはあってしかるべきでも、全方位からの集中砲火で筆を折らせるような種類のものかは疑問です。何せ、当時のバッシングは本当に常軌を逸したものでしたから。
 実は最近もこれについてXにポストしたことがあるので、そこから引用してみましょう。

(唐沢氏のは許されないこととは言え、明らかに出典を忘れただけのことを、「敵」がここぞとばかり叩き出すという、まさに「キャンセルカルチャー」の先駆けだったんだよね)

 これに対し、早速レスをつけてきた作家さんがいました。

違いますよ。漫棚通信さん@mandanatsusinのブログの文章をコピペしたうえ「加工」して原形が分からなくした極めて悪質なものです。くわしくはこちらのまとめを。

 それに対するぼくの(いささか長文の)お返事が以下です。

まず、ちょっと思ったのは「コピペしたうえ「加工」して原型が分からなくした」ってのは論理矛盾ですよね。
「原型が分からな」い場合はパクリとわからないわけです。
いきなり「盗品は処分しただけでお前が盗んだんだろ!」と殴りかかるようなものですw
ただし、唐沢氏の問題の件は確かに「原型」はそのまま持ってきたけど、最後をちょっとだけ変えていたということを、思い出しました。
モノは要するに別な資料の要約であり、その要約の部分がまんまだった。
だからやはり「コピペ」であることは事実であった。
ただ、同時に要約というものはクリエイティビティの少ない部分であることは事実で、一言「参考文献」などで挙げていれば問題も起こらなかったのになあと。
その意味で、騒ぎ方に対するよくぞここまで過剰にという感想が、先のツイになったわけです。

 この後、相手の作家さんは(他にも、ちょっと嫌味をおっしゃっていたので、それについては)冷静に謝罪してくださいました。いや、ぼくの主張に納得なさったかは判然としませんが。
 問題の部分は小説の要約であり、その要約がそのまんまだけど、最後のちょっとした感想の一言が、唐沢氏独自のものであった。
 件の作家さんはそれを引用とわからなくするための改変としているのですが、それ以前の部分が同じなら「わからなく」なるわけではないでしょう。引用文献として挙げ忘れただけではないかというのがぼくの判断です。
(もっとも超フラットに見るならば、唐沢氏に盗作の悪意があったかどうかは藪の中、というのが正しい言い方でしょうし、ぼくもやや唐沢氏寄りの見方はしています)
 ともあれ、順風満帆に見えた唐沢氏はここから作家、出版関係者、業界人の連合軍による尋常ではないバッシングを受け、坂を転がるように仕事を失い、転落してしまったわけです。
 先にあるように近親者、また仕事仲間とも問題を起こしていた人であり(ただ、近親者のそれは死後に一方的にされた話ではあります)、清廉で潔白だとは言いにくいですが、それにしてもバッシングは過剰であったし、それによって「戮された」のだということは、否定しにくいように思います。
 何しろ「アンチ」の中には今回、唐沢氏や岡田斗司夫氏を売り出した人間に取材しろなどと言っていた者もいましたし(取材してどうするんでしょう。悪者を世に放った責任を追及しろ、というわけでしょうか)、また無断盗用(と、敢えて表現します)騒動に対しては氏が会員だったと学会の山本弘氏にまで意見表明せよと迫り、病床に伏した近年までしつこくしつこく粘着していました(除名処分にしなかったことがお気に召さなかったようです。唐沢氏の問題の本が、と学会名義というわけですらないのに、です)。
 普通に考えて唖然とするような振る舞いばかりですが、「唐沢俊一は悪の権化だ」という「大前提」がもう、彼らの中では揺るぎないものとなっており、その唐沢を潰すという「大正義」のためには何をしても許される、というのが彼らの考えなのでしょう、安倍さん暗殺の時の左派と同様に。

・オタクについて論じた人たち

 さて、では、何故、唐沢氏はここまでバッシングを受けねばならなかったのでしょうか。
 そんなの、氏の「業績」を見れば明らかやないですか。
 いつも言ってる岡田氏の場合といっしょです。
 唐沢氏の著作に『B級学』というものがあります。
 漫画を中心に、大衆文化にはその時代の瞬間最大風速的に圧倒的な支持を受け、しかし評論家の先生方の受けが悪いがために「消えて」しまう作品が無限にある。確かにそれらはクオリティや芸術性という意味では取るに足りぬものが多い。だが大衆の心に何よりも寄り添い、慰めてきたそれらを蔑ろにしてしまっていいのか。
 ――以上は唐沢氏の本の引用ではなく、あくまでぼくが自分の理解を記憶に頼り書いていることなのですが、ここしばらくたまたま氏の本を読み返していたところでもあり、アウトラインは抑えているのではと思います。
 これは同時に、例えばぼくがオタク文化を形容し「裸の男性性」と称するのとも近い。オタク文化はもちろん大変なクオリティを持ってはいるものの、同時に同人誌やかつての美少女コミック誌(これは商業版同人誌とでも称するべき特性を持っておりました)などは、クオリティ的には低いものも多かったのですが、それらはその時のオタクの「気分」をストレートに汲み取るものでした。ぼくの言はそれに価値を置くものであり、これは唐沢氏のスタンスとも相通ずるものです。
 氏は以降、貸本の怪奇漫画などの復刻を積極的に行ってきました。それらはクオリティの低いものばかりで、そこに書き文字で「何やってんだ、この主人公」といったツッコミを入れるスタイルに「アンチ」が文句を言ったりもしておりましたが、じゃあ、お前がツッコミなしのものを先に復刻しろって話です(しかしそうした「アンチ」が『映画秘宝』的な、近いことをやっていた連中なのも不思議です)。そもそもクオリティが低い(ツッコまずにおれない)ものを復刻するというのが氏のスタンスであり、「アンチ」はそこを理解できていないのです。
 上に唐沢氏を「岡田氏と同じ」と書きました。が、唐沢氏のスタンスは、岡田氏とはまた少々、違ったものかも知れません。
 評論家としての岡田氏のモチーフは、「オタクは批評家たれ」とでもいったものになりましょう。
 要するにこの世に溢れるおびただしいコンテンツの中から、目利きたるオタクがある種のインフルエンサーとなり、「こんな面白いのがあるぜ」と伝える、クリエイターと消費者の仲介者とでも称するべき役割を担え、といったものです(『プチクリ』とかその時期の著作に、これは濃厚に出ています)。
 これはそもそも、オタクがアニメなど子供向けとされていたものから価値を見出した者であることに、端を発しています。また、先の同人誌などでも述べたようにオタク文化の本質は「舞台と楽屋と客席」を融合合体させたところにでもある、と言えそうです(これはまさに八〇年代のオタク投稿雑誌、『ファンロード』誌上において、読者が同誌を評して述べていたことです)。
 いずれにせよ、二人のスタンスは違いもあれど、クリエイター様を伏し拝むのではなく、受け手側がもう少し能動的に作品に切り込んでいくべきという点で、共通していたのだと言えますね。

・オタク資産が欲しい者たち

 ところが、一体全体どうしたことか、両氏の「アンチ」、ぼくが「サブカル」とか「オタク界のトップ」とか「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」とか読んでいる連中はこうした世界観を頑なに拒む傾向があります。彼らは一体全体どういう認知の歪みか、オタクは「消費者」だと信じ込み、「消費者だから下等だ」とビシバシ決めつけます。彼らは一様にクリエイターを神のように崇め、消費者を見下しています。じゃあ、先にも述べたように、彼らに『映画秘宝』的にコンテンツを斜めに見たがる傾向があるのは何故か不思議なのですが、多分自分だけはクリエイターよりエラい、というリクツなのでしょう。
 ぼくはかつて岡田氏をサブカルに対する「ジオン」である、独立戦争を起こした側である、と表現しましたが、唐沢氏にもそれが当てはまるのです。そしてまた、その時にはサブカルの左翼性とオタクのノンポリ性の相克といった面を強調しましたが、唐沢氏は実のところ左派嫌いの人でした(晩年、フェミニスト作家を批判していたことを知る方も多いでしょうが、かなり早い段階からフェミ批判もしていました)。
 今回の訃報に際し、極めておびただしい「唐沢は売れなくなったからネトウヨに擦り寄ったのだ」とのさわやかな死体蹴りを拝見いたしましたが、それは残念なことに事実に基づいていないのです。
 そう、両氏が何故「消された」かはもう、明白です。
 彼らがバッシングを受けたタイミングと、オタク文化の凋落がシンクロしていたのは、決して偶然ではないのです。
 何しろ彼らの目的は、オタク村という「植民地」における成果物の中から、「自分たちにも食べれる」ものだけを簒奪するというものなのだから、やってることはフェミと面白いほどに「完全に一致」しているのです(腐女子フェミのBLの持ち上げぶりを見よ!)。
 ぼくは上で唐沢氏バッシングを「キャンセルの元祖」と表現しましたが、同じ手がこれからいよいよ、ぼくたちに伸びてくることも、既に必然なわけです。

 先に岡田氏、唐沢氏の評論家としての骨子について述べましたが、今のオタクコンテンツには、それらが失われているように、ぼくには感じられます。
『B級学』的な視点から見るならば、いい意味での素人っぽさ、マニアックなネタを競うような趣味性(要するに内輪受けということですが、それは必ずしも悪いことではありません)が失われている。同人誌の持つ特性を、ぼくは「気分」と表現しましたが、その「気分」を失った時、青年文化としてのオタクコンテンツは死ぬわけです。
『プチクリ』的な視点から見るならば、例えばですがマイナーなエロゲの記事をブロガーが書き、2ちゃんねるのスレッドでそうしたコンテンツについて喧々諤々と考察する、これらはゼロ年代には普通に見られたことですが、今ではそうした文化は失われています(2ちゃんがXに、ブログがnoteになったということではなく、そうしたオタク活動そのものが停滞しているわけです)。
 これは直接的には小銭を稼ぎたいヤツらがDLsiteなりソシャゲなりYouTube動画業者なりといった形でオタク業界を荒らしたことが原因だと思うのですが、オタク的な「気分」を、またオタクコンテンツそのものをサブカル陣営が叩き続けたことを考えると、それもまた、一助となっていましょう。
 仮にそうしたサブカル陣営の妨害がなければ、或いは両氏の著作を論理的支柱として、ぼくたちももうちょっとオタクコンテンツの防衛ができていたのではないでしょうか。
 今、唐沢氏は彼の愛したB級同様、「評論家の先生方」に消されようとしています。
 全盛期のことを知る者も減るばかりでしょうし、これを機に、サブカル陣営がネガキャンを張ることは目に見えています。
 そしてそのことはまた、ぼくたちの近未来を示唆してもいるのです。

 あ……いや、実のところ「アンチ」にそこまでの知性があるかは極めて疑わしく、単純にオタク村への侵攻時に、まず村長さんをぶっ殺しておく必要があっただけ、ということなのかも知れませんが。
 岡田氏は何しろオタキングを名乗り、今でもYouTuberとして活躍しており、オタク界の大物というのはご理解いただけましょう。
 唐沢氏もまた、二〇年ほど前はテレビに出るのみならず、毎月のように本をバンバン出版し、イベントを企画してと、オタク界の中心にいたのです。この辺り、おそらくこれからは晩年の窮乏を強調するネガキャンが始まるでしょうから、申し上げておきます。
 当時の唐沢氏はオタクのみならず、サブカル界隈からも憧れられ、妬まれ、嫉まれる対象であり、(事件以前より)その地位を失墜させようと叩く者が多かったのです。
 そう、「サブカルのオタクへの攻撃」というものが「あった」ことは、幾度も書いているので繰り返す必要はないかと思います。彼らのオタクへの感情はアンビヴァレントなもので、「俺を捨てたお稚児さん」への憎悪という側面と「いや、お稚児さんはまだ俺を愛しているはずだ」という未練という側面とがあります。
 それが彼らの「オタクもサブカルも元は同じだ」、「オタクどもはネトウヨだ」との矛盾した物言いへとつながっているわけです。
 そしてまた、オタクをお稚児さんであると思い込んでいるが故、彼らはオタク文化の中から「自分たちにも食べれる」モノを選別し、奪取することを正当な権利だと、傲岸不遜にも、本当に信じているわけです。
 ちょっと観念的にわかりにくいでしょうか。
 一つに、東浩紀や宇野常寛が常にオタクを貶め、蔑み、軽んじ、侮り、卑しみながら、オタクコンテンツで商売をしていることを例示すれば、それで充分かも知れませんが、今これを読んでくださっている何割かは、とある言葉が喉にまででかかっているかもしれません。
 ――ということで、以降はちょっと、課金にしておこうかと思います。

・オタクを寝取った者たち

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