「漫画『BEASTARS』から読み取る、女性に内在するフェミニズム的性向」を読む(その5)
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――ご無沙汰しておりました、『BEASTARS』評の時間です。
正確には匿名用アカウント氏の本作評への感想であり、まずは本ブログ前回と前々回、前々々回、前々々々回、及び匿名氏のnoteを読んでいただくことを推奨します(すんません、ぼくのnoteは第一回目だけ載せます。読んでない方はこっから辿ってください)。
さらに、そもそもの『BEASTARS』も読んでいただくのがベストなのですが、ぼく自身、先日ようやっと十五巻までを読んだばかりでまだ読破はできていない状況なので、今回はその中間報告になります。
・兵頭、十五巻まで読んだってよ
本作に関しては既に十一巻までをレビューしていますが、十二巻以降は「種間関係篇」と呼ばれる、言ってみれば最終章へと入ります。
この最終章より、壮獣ビースター(といってもよくわかりませんが、悪い肉食獣をやっつける、街のヒーロー的なエラい人です)ヤフヤが登場、レゴシに接近します。
彼は馬であり、強い草食獣。肉食獣を深く憎む存在であり、そのため悪い肉食獣をやっつける一匹狼のヒーローのようなことをやっているのです(ビースターという存在がいかなるものか今一不明であり、ヤフヤは権力者ともつながってはいるものの、フリーの自警団のような存在として描かれます)。
その初登場シーンはというと――ブラックミルクメーカーで、四十代のメス牛が薬を飲んで母乳を絞られ、苦しんでいる。査察に来た役所の人間(?)も、何とか丸め込んでお引き取り願おうとするメーカーのエラいさんだったが……その役人はエラいさんの首根っこを引っ掴み、恫喝する。
この社会が成り立っているのはすべての草食獣が寛大だから、そして…僕がいるからだ
この役人は実は……ヤフヤの変装(?)だったのだ~~~!!
番場壮吉かよ!*
この後もタンクを蹴り潰して脅したりオバさんを「淑女」と呼んだり、もう見てられません。
このヤフヤ、レゴシの祖父とのBL的因縁もあり、彼がレゴシを自分の右腕にしようとし、レゴシもまた街の悪に戦いを挑むという展開が、この種間関係篇の主軸となります。
*
街に「麻薬の売人」ごとき者が現れる話があります。飲んだ者の肉食の衝動を高めるような薬をエナジードリンクと称して売る連中。レゴシは正体を見抜き、正義の怒りを燃やします。「このドリンクになった草食獣の痛みを知れ」。
暴れ回り、レゴシはふと気づく。
読んでいてここは当然、「暴力衝動もまた肉食獣の業だ……」とレゴシが内省するという展開が描かれるのかと、ぼくは思いました。
が、レゴシが言うことには――。
「俺は草食獣フェチだ」。
何だそりゃ?
「俺は正義のために戦っていたのではない、草食獣が好きなだけだ」。
負傷したレゴシは見舞いに来たルイを見てまた「草食獣ってなんてきれいなんだろう」などと宣います。
「俺は草食獣フェチの変態だ」と自虐するレゴシに、ルイは「変態だろうと何だろうとそれで誰かを守れるならば正義だ」とか宣うのです。
何というか……種間関係篇に入ってから、本作はいきなり(BL及び)無国籍活劇になってしまったかのようです。
「無国籍活劇」というのは(日本としか思えない場所なのに)登場人物がフランクに鉄砲を持っていることからそのように呼ばれるやくざ映画の類であり、これに影響を受けた特撮ヒーロー番組が『快傑ズバット』です。そんなこんなでレゴシも
早川健かよ!*2
と言いたくなるような活躍をするようになるわけです。
要はこのシーン、自分の暴力性に対して内省があるのかと思いきや、そうではない。
もちろん、フェミニズムは男性の攻撃性を非現実的なまでに恐れ、罵倒するものであり、それは全く同意できませんし、レゴシが自らの暴力性を内省する描写があるべきだとも全く思いませんが、あれだけ草食獣への暴力性をとがめてきた本作にしては、何だか肩透かしでした。
言わば作者は「食欲」という形で「男の性欲の中の、暴力性」だけを恣意的に「悪だ」として切り取り、一般的な意味での「暴力」は「何か、格好いいアクション(であり、女性を守るための力)」としてあっさり免責しているように見えてしまうのです。
「女は暴力を揮う男が大好き」という本田透や近年の非モテ論者(小山氏とかあの辺)のようなことを言いたくなってこようというものです。
*2
さて、十四巻に至り、レゴシはヤフヤに招待され、その下を訪れます。
ヤフヤはレゴシの友人の脚を食った過去を知り、謝罪しろと暴力で抑えつけます。もっともヤフヤは犯罪者の肉食獣の死体でニンジンを育てているような人物であり、言わば草食獣側のタカ派。レゴシもまた、罪を詫びるかのように自らの牙を抜くのですが、ヤフヤが全面的に正しい存在として描かれていないのは自明で、レゴシもその後、ヤフヤに殴りかかります。
そう、匿名氏のブログでも重要視されていたこのシーンは、ここで描かれるものなのです。そこにあるのは、明らかに「肉食獣=男性」の原罪への激しい告発なのですが――しかしいかに大ゴマとはいえ、いきなりな描写の上、あっという間に義歯をつけるので「何だこりゃ」感が残ります。
そんなこんなで、現時点でヤフヤはあまり印象的なキャラとも思えません(考えてみれば「草食獣側の悪者」というのを描くのは、作者の手に余るんじゃないでしょうか)。
一方、印象的な悪役がメロン。彼は肉食獣草食獣ハーフであるがため、言わば「レゴシとハルの未来の子供」のネガティビティを負った存在。「いかに多文化共生は素晴らしいと言ったところで、生まれて来る者が背負う苦難に、お前は責任を取れるのか」という、これはかなりラディカルな問いかけを象徴したキャラになっています。
ヤフヤと共にメロンを捜索し、レゴシはいったん、彼を捕縛。しかし言葉巧みに相手の心を掴むメロンに、レゴシは手錠を外してしまうのです!
アホか!?
ここ、匿名氏も「作者が消耗していたのではないか」と書いていた箇所なんですが、普通であれば「油断させ、手錠の鍵をすり取る」とかでいいんだから、やはり作者が天然というか、元々こうしたことにあまり深く気を回さない人なんじゃないかなあ。
・女性キャラ、全員ビッチだってよ
――さて、今までぼくが行ってきた、本作への評を一言で言うと、「多様性」「多文化共生」とでもいった自分の用意したテーマに自縄自縛に陥った作品、とでもいったことになるかと思います。
基本、本作に対するツッコミのほとんどは、「そもそも肉食獣と草食獣とが何でいっしょに暮してるんだよ、別々に棲め!!」というものでしたから。
ただ、種間関係篇において、レゴシはうどん屋をバイト先にしてボロアパートを住居と定め、これ以降本作はちょっとだけ「下宿物」の楽しさの片鱗を覗かせることになります。
前にもちょっと書いたことがありますが、70年代の漫画作品には「まだ何者でもない青年」が「仮住まい」としてのアパートで暮らすというジャンルがありました。『マカロニほうれんそう』や『めぞん一刻』のように、そこは往々にして非常識的な住人との「ハレ」的な非日常の空間として描かれます。
本作も、例えば独自の死生観を持つ海生生物などの個性豊かなお隣さんとの生活という、楽し気なムードが漂い始めるのです。いや、ホンの一瞬漂うだけですが……。
しかし何といっても顕著なのは「ムカつくメスキャラ」の台頭。
他にもお隣さんとして雌羊が登場し、延々「自分語り」を始めます。毎朝「雑種専用車両」に乗って会社に出かけるOLなのですが、本人の語るところでは「男と対等になるために」、その車両に乗っているというのです。
何が何だかわかりません。この世界で存在すべきなのは「草食獣専用車両」であり、話の流れを考えれば、肉食獣と対等になるために「肉草共用車両」に乗る、となるべきだろうに、「雑種」ってナニ? 単純に「共用」の意味で「雑種」と言っているのか?
まあ、要は「男社会で男に負けまいとガンバるOLへの応援歌」的な話なのですが(或いは、ひょっとして、「少年漫画誌で孤独に奮闘する自分」を投影しちゃってたりなんか、するのかなあ……)、ともあれこの女はレゴシと出会うことで気づきを得、「自分を罰して欲しくて雑種専用車両に乗っていたのだ」とか言い出します。何だそりゃ。
これは後の巻のあとがきで、作者自身の経験談を元にした話だと書かれます。女子高生時代の作者は現実のストレスから逃げ出したくて、「通学電車の隣のおじさんに誘拐してもらおうと、何か媚びた仕草をしてみた」ことがあるそうなのです!
何というか、随分幼い行動ではあるものの、「そのおじさんにも失礼であった」と自分の愚行を内省する作者の筆致は極めて冷静で、好感が持てるのですが、正直、漫画だけ読んでいるとよくわからない描写です。
考えようによっては「女が、女の武器を利用して男に加害性を発揮する」というかなりラディカルな女性批判足り得るシーンのはずなのですが、これ以降もこの羊、何だかエラそうなことばかり言っています。
この人、スポーツ用品のメーカーに勤めており、若い男性の意見を求めてレゴシをスポーツシューズショップに誘います。
そこで(かつての)同僚に出くわし、「女の子だから」とからかいを受けるのですが、その元同僚たち、レゴシに注意されると、一転してしゅんとなります(肉食獣もいたのですが、狼はその中でも強いってことなんでしょうか?)。
あぁ、やだやだ、「何ら落ち度のない私が悪の男にいじめられていたが、現れた正義の男の騎士的行動に救われる」との嘘松話だよ……と思っていると!
この羊、レゴシに対して「子供のくせに何でエラそうに私を助けるのだ」と激昂するのです!!
何で?
自分が頑張ってきたのに肉食獣の迫力に敵わないことを思い知らされ、不快だと。
知るかよ、そんなこと!!
レゴシもまあ、「草食獣の騎士」ですからひたすらへこへこするばかり。フェミ様の癇癪におろおろと頭を下げ続けるチンポ騎士そのままです。
落ち着いてからの羊はレゴシに「あなたは悪くない」と言ったりもしますが、相も変わらずウエメセ。せめて怒鳴ったことを謝罪しろよ! 助けてもらったことに礼を言えよ!!
とにもかくにも読んでいてこちらが感じるのは、話の本筋よりは、こうした「女の天然な傲慢さ」ばかりです。
一方、当初はセカンドヒロインのように設定されていたジェノ、すっかり影が薄くなってしまいます。そりゃ、メインヒロインであるはずのハルだって影が薄いんだから、当たり前なんですが。
このジェノ、食殺事件篇ではビースターを目指すと宣言したり、重要キャラになっていくのかなあ……と想像していたのですが、再登場時に描かれるのは、ルイの義足を見て思わずルイへとキスをする、というシーンです!
何だそりゃ!
また、これは十六巻の描写ですが、何とまあ、レゴシのボロアパートを訪ね、「恋愛相談」をするシーンが描かれます。つまり、彼女はもうはすっかりルイを恋愛相手として定めているのです。
あまりのことにページを飛ばして読んだのかと思ったくらい唐突な展開です。
「女はいつでも男をとっかえひっかえする権利があります」がこの作者の道徳律なんでしょうね。
もう一つ、これも十六巻にまで渡って描かれる描写ですが、レゴシの母の霊のエピソードも登場します。
実はレゴシ自身もトカゲとオオカミのクオーター(いくら何でも爬虫類と哺乳類が普通に混血するって、どうなんだ?)。母は美しいメスオオカミだが、身体に鱗が生えてくるのに耐えかね、レゴシが12歳の時に自殺を選んでしまいます。同情すべきとはいえ、レゴシの立場になって見れば、幼い日に自分を捨てて死を選んだ非道い母親です。
しかし(他のあらゆる女性様作品と同様)レゴシは母にも従順な騎士のように誠実で、また母も(気の毒とは言え自殺した人間なのに)妙にエラそうに達観した言葉を垂れます。
全てが間違っているように、ぼくには思われます。
あ、メインヒロインのハルちゃんは大学へと進学。キャンパスライフで「目指せキラキラ女子!」をしていたら、友だちがライオンとの異種族カップルであることを自慢気に押しつけてきて、つい本音でdisってしまいう、といったエピソードで活躍しますw
あぁ、はいはい。
で、その直後、見るからに温厚なライオンの彼氏は、見るからに嫌なヤツであるそのメスウサギに苛立たし気に「キスしてよ」と求められ、悪気なく牙を立ててしまうのです。
まさに地獄。肉食動物にとっての。
だから、要するに棲み分けてればいいんですよ、両者。
正直、このエピソードをどう解釈すべきかは今一、わかりません。
「意識高い系」の獣たちが上っ面の「ダイバーシティ」を謳い、きれいごとの「共生」を謳歌しているのだ、といったエピソードは実は以前にも描かれ、ここではその因果応報で事件が起きたのだという、一応、本作の深みだと、評価しなければならないのかもしれません(事実、この後ハルがそうしたきれいごとを嫌い、レゴシに裏市へと連れて行ってもらう描写もあります)。
しかし何というか、ぼくには単にブスが「リア充爆発しろ」と怨嗟の念を吐露し、そして彼女の思い通りに「リア充が爆発した」というなろう的幼稚な描写に見えてしまうのですが。
つーことで『BEASTARS』評、もうちょっとだけ続きます。
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今まで何度か女流漫画家の作について述べてきました。 基本、それらは本人が自覚しようとしまいと「フェミニズム」漫画、「負の性欲」漫画の側面を…
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