「どう見ても犯人」、モノガタリーのお題、1067文字
警察署の取調室で、男は座っていた。
刑事たちは入れ替わり質問をしたが、彼は何一つ答えなかった。自分の名前さえ言わず、ただ薄笑いを浮かべたまま、何かを待つように時計をチラチラ見るだけだった。
「どう見ても犯人だろう」
若い刑事が漏らした言葉を、誰もが内心で同意していた。
現場には明らかにこの男のものと思われる痕跡があった。血痕、靴の跡、そして唯一目撃者が記憶した特徴――鋭く光る赤い石を埋め込んだペンダント。全てが、目の前の男と一致している。
それでも、決定的な証拠が足りなかった。
「名前を聞いているんだ」
ベテランの刑事が椅子の背を叩いて声をかけるが、男は無言を貫いた。
「おい、指紋の鑑定はまだか!」
別室の指揮官がイライラした声を上げた。若い刑事たちはうなずき、慌ただしく出て行く。取調室には男とベテラン刑事、そして重い沈黙だけが残された。
やがて、男はふと顔を上げた。
「君たちは、時間を使いすぎた。犯人はすでに逃亡している」
男が初めて口を開いた。その声は低く、どこか柔らかい響きを持っていた。
刑事は眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
男は時計を指さした。秒針が静かに動いている。
「僕が、犯人の服装をしていただけで本人と決めつけたのが悪かった。犯人はすでに、君たちの手の届かないところにいる」
その瞬間、外で大きな足音が響いた。署の中がざわつき、誰かの怒声がし、取調室の扉が開き、若い刑事が血相を変えて駆け込んできた。
「指紋が――現場のナイフに付いていた指紋、さっき一致したんです! でも……」
「でも?」
「この男じゃないんです。指名手配犯の寺内丈二のものです」
取調室は凍りついた。
椅子に座る男の目が鋭く光り、彼はゆっくりと立ち上がった。手を広げるようにして刑事たちを見回し、薄く笑みを浮かべた。
「そうだ。私は犯人じゃない。釈放だな」
部屋の中の空気がさらに重くなる。若い刑事たちが言葉を失う中、ベテラン刑事が静かに口を開いた。
「お前は共犯だ」
その言葉に、男の表情が一瞬固まる。
「犯人の逃亡を助けたことによる犯人隠避罪。そして、犯人の服装を真似て警察を混乱させ、捜査を妨害したことによる偽計業務妨害罪の疑いで――逮捕する!」
男は一瞬きょとんとした表情を浮かべたあと、突然情けない顔になった。
「えっ……? 犯人からは、すぐに釈放されるから大丈夫って言われたのに……」
ベテラン刑事は深いため息をついた。眉間にしわを寄せながら、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「闇バイトか……。勘弁してくれよ」
静まり返った取調室に、外から雪解けのような遠いサイレンの音が響いていた。
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昔は、新聞やテレビのニュース、読書などで雑学を学びましたが、今の若者はネットで自分の興味のある情報だけに触れています。
今後は、こういった若者が増えるのかもしれませんね。