「まだ見ぬ、行列の向こうのサイゼリヤ」、第一回サイゼ文学賞(非公式)、1680字
行ったことがないサイゼリヤについて、エッセイが書けるのか、物書きとして挑戦してみた。↓福島太郎さんの個人企画に参加させていただきます❤️
#サイゼ文学賞
サイゼリヤに初めて行ったのは、いつだっただろう。
記憶を辿っても思い出せない。
なぜなら、行ったことがないからだ。
2022年12月1日、島根県出雲市に県内初のサイゼリヤがオープンした。全国で37県目の出店だった。店の前には長蛇の列ができた。都会の人々からすれば、
「は? なんでサイゼに行列?」
という反応だったかもしれない。都会の人々が何気なく通り過ぎるチェーン店が、島根では「特別な何か」なのだ。行列は、それを待ち望んでいた人々の思いの可視化だ。
この行列は数週間続いた。九州南部や四国にはまだサイゼリヤがなかったため、全国ニュースになることはなかった。
思い返せば、島根にスターバックスが初めてできたときは全国ニュースになった。47都道府県中46番目の出店。最後に残ったのは隣の鳥取県だった。
だが、「勝ったぞ、ザマアミロ」などという感情を島根県民が抱いたかといえば、おそらくそんなことはなかっただろう。何かを競うにしても、最下位争いの常連である島根と鳥取は、もはや敵対するのではなく、互いに寄り添い、傷を舐め合うように生きている。
どうせ都会の人は、島根県と鳥取県が地図のどちら側にあるのかも知らないのだから。そんな背景もあって、島根土産として「島根か鳥取かわからないけどそこら辺に行きました」という自虐的な菓子が売られている。自虐は、この土地の文化の一部なのだ。
話をスターバックスに戻そう。鳥取県はスタバ未出店最後の県となった。そんな状況の中、当時の平井伸治鳥取県知事が「鳥取にはスタバはないが、すなば(砂場)がある」と発言し、それにちなんで、「すなば珈琲」という店が誕生した。鳥取砂丘にちなんだネーミングだが、もちろんこれは「スタバがない」という事実を逆手に取った自虐でもある。
……と、話が逸れてしまったが、サイゼリヤのことである。
知らない場所について書くのは、夢の中で知らない街を歩くのに似ている。その街には見覚えがあるようでいて、どこか決定的に欠けているものがある。もしくは、ある小説を読んで、その小説の舞台になったカフェや広場の情景を思い描くことに似ている。
その風景は現実のものではなく、言葉の隙間から立ち上るものでしかない。しかし、だからこそ、その場所は無限に拡張しうるのだ。サイゼリヤというものについて書くことは、まさにそうした営みに等しい。
サイゼリヤに行ったことがない。行ったことがないのに、それについて書くという状況はおもしろい。人は、見たことのない景色について語ることができる。行ったことのない場所の匂いを嗅ぎ取ることができる。経験を持たずとも、それを持ったように錯覚することができる。それが言葉の魔法だ。
サイゼリヤという言葉を知ったのは、ずいぶん昔のことだった。安価で、美味しくて、大学生や家族連れが多く、ミラノ風ドリアとワインが定番である。そんな断片的な情報が、長い時間をかけて、私の中にサイゼリヤの「幻」を形成してきた。私はサイゼリヤを知らないが、それを「知っている」。行ったことはないが、記憶のどこかにある。
私の想像の中のサイゼリヤは、どこにでもあり、どこにもない。客たちは、ワインのグラスを傾けながら、どうでもいい話を延々と繰り返す。誰もがここに長く居座る。そのせいで、90分制度ができたらしいが詳しくは知らない。
そんなに長時間、居座りたい場所と言うのなら、サイゼリヤは「滞留する時間」の象徴だ。そこには時間が堆積し、人々はそこに浸る。サイゼリヤの料理は「食事」というより「存在のための証明」に近い。安いワインは「酔うためのもの」ではなく、「そこにいる理由」の一部なのだろう。
サイゼリヤに行ったことがない私にとって、サイゼリヤは、未知の土地でありながら、ある種の郷愁を伴う場所でもある。そこには行ったことがあるような気がする。いつか誰かと一緒に、長居をして、ワインを飲んで、どうでもいい話をしたことがあるような気がする。それが現実なのか、単なる思い込みなのかは、もはや問題ではない。なぜなら、サイゼリヤとは、そういう場所だからだ。
ーーー
行ってみたいが、行けないのは、
「行くのなら、ワインを飲みたい」からだ。
島根は公共交通機関が壊滅状態なので、自分で運転していくしかないので、無理なのだ。
リーズナブルな値段が売りのお店に、タクシー代、往復で7,000円くらいかけて行くのは馬鹿らしい。家族で行けば誰かが飲めない。
旅先では、その土地のものを食べたいので、チェーン店に入ることはない。
いったい、いつになったら行けるのだろう。