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Simply、うたすと2

 ジョンとニーナは、一緒にいるだけで、時間の流れや空間の境界が曖昧になり、世界が二人だけの音楽で満たされるような感覚があった。だが、それはある日突然、壊れた。

 すべての始まりは、ニーナの父親からの電話だった。
「ジョン、君とニーナの関係は、終わりにしてくれ」

 電話の向こうの声は冷たく、感情の欠片もなかった。ジョンは受話器を握りしめ、相手の言葉を信じられない思いで聞いていた。

「どういうことですか?ニーナは、僕と一緒にいることを望んでいます」

 ジョンの抗議の声も虚しく、彼は平然と続けた。

「分かっている。だが、ニーナには別の将来が待っている。君と一緒じゃない幸せな未来だ」

 ジョンの胸に冷たい痛みが広がった。ニーナがいなくなる――そんなことを想像したこともなかった。

「そんな……そんな馬鹿なことがあるか」

 ジョンの声は震えていた。だが、ニーナの父親は動じることなく、冷静に言い放った。

「もし君が彼女と会い続けるようなら、私はあらゆる手段を使ってでも、君を彼女から引き離す。覚悟してくれ」

 その言葉を最後に電話は切れ、ジョンは一人、凍りついたように部屋の中に立ち尽くした。

 ジョンはそれから何度もニーナに連絡を取ろうとした。だが、彼女のスマホは不通で、SNSのアカウントも消えていた。彼女の家を訪れても、もう引っ越した後だと言われ、会うことは叶わなかった。

 すべてが一瞬の出来事だった。昨日まで隣にいたはずのニーナが、突然いなくなり、彼の世界は音を失い、静寂だけが広がっていた。

 毎日、彼女と歩いた道を一人で歩いた。二人で見上げた空、笑いながら話したカフェ、手を繋いで渡った交差点――どこを見ても、彼女の面影が浮かび、心の中で彼女の笑い声がこだました。

 けれど、現実は残酷だった。ジョンの胸を満たしていた感情は、日ごとに虚しさへと変わっていった。
 彼は何度もニーナの家に行った。でも、会えなかった。
 彼は何度も諦めようとした。彼女のいない生活に慣れようとした。だが、彼の心は、彼女のいない日々を受け入れることを拒んだ。

 だから、ジョンは諦めなかった。彼女の父親の警告を無視し、必死にニーナの行方を探し続けた。

 それから半年が過ぎたある日のこと。ジョンが住む町を離れて、遠くの小さな街に仕事で赴いたときのことだった。ジョンは用事を終えて駅に向かう途中、ふと見覚えのある姿を見かけた。

「ニーナ⁉︎」

 彼は反射的に足を止めた。遠くのベンチに座っていたのは、間違いなくニーナだった。彼女はコートの襟を立て、冷たい風に吹かれながら本を読んでいた。ジョンの胸は激しく鼓動を打ち、息が止まりそうになった。

「ニーナ!」

 彼は我を忘れて彼女に駆け寄った。彼女は顔を上げ、驚いたように目を見開いた。

「ジョン?」
 その瞬間、彼女の表情は、ジョンの記憶に深く刻まれた。彼女は涙を浮かべながら、かすかに微笑んでいた。ジョンは息を切らしながら彼女の前に立ち、手を伸ばした。

「ずっと探していたんだ。どうしてこんなところに?何があったんだ?」

 彼女は目を伏せ、ゆっくりと口を開いた。

「ごめんね、ジョン。私は、お父さんに従うしかなかったの。あなたと一緒にいると、あなたに何をするかわからなかった」

 ジョンの胸に冷たいものが広がった。

「お父さんは、私たちが一緒になるなら、家を出て、彼とは二度と連絡を取らないことを条件にしたの。財産も、家名もすべて捨てて、私が家族から完全に切り離されること……それが条件だった」

ジョンは言葉を失った。彼女の家族は代々続く名家であり、彼女自身もその名にふさわしい教育と地位を与えられて育ってきた。彼女にとって、家を出るということは、ただ物理的に離れることではない。社会的な立場や未来をもすべて捨てることを意味する。

「君は……それで本当にいいのか?」

 ニーナは少しだけ微笑んだ。

「お父さんはきっと、いつか私を許してくれるわ。でも、それが10年後か、20年後かわからない。でも、私は自分で決めたの。あなたを失うくらいなら、家族を失う方が耐えられるって」

 ジョンは彼女の手を握りしめ、深く息を吸い込んだ。

「じゃあ、僕も約束する。絶対に君を後悔させない。君のお父さんを納得させる家庭を作るよ」

 ニーナは、彼の言葉を聞いて微笑んだ。

 二人はゆっくりと歩き出した。
 並んで歩くジョンとニーナの足音が、ざらついたアスファルトの舗道に不規則なリズムを刻み、どこかで聞いたことのあるようなメロディに変わっていく。高鳴る気持ちが音楽として二人の世界を満たしていった。

 空は澄み切り、雲は薄く、木々の葉が風に揺れ、ささやくような音を立てている。

 ニーナが笑うたび、ジョンの胸の中に浮かんだ心地よい響きが、小川のせせらぎとなり、さらに広がり、やがては大海の波音のような壮大な音楽を生み出していた。
 (1958字)



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