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山のお化け、ハロウィンノベルパーティー2024

 お題 山のお化け

10月の各番号の日付に、そのお題の小説を公開するノルマ

 山深い集落の外れに、一軒の古い木造の小屋があった。小屋の主は松吉という年老いた木こりだった。彼は毎日、木々を切り倒しては薪を作り、それを町まで売りに出ることで生計を立てていたが、年々その仕事も辛くなってきていた。夜になると、松吉はいつものように狭い室内で豆炭の火を眺め、黙々と晩酌を楽しんでいた。

 その夜も、周囲はすっかり暗く、外の景色はぼんやりとした月明かりに照らされていた。冷たい風が山を吹き抜け、木々の枝を揺らす音が聞こえるばかりだった。

 松吉は耳を澄ませて、一杯の酒を飲み干すと、ふと窓の外に目をやった。そこには、月明かりを背にした奇妙な影がいた。体は巨大で、頭は天を突くほど高く、二本足の他に四本の腕を持ち、指先は枯れた枝のようにひょろりと伸びていた。

松吉は少しだけ目を細めた。

「ほう、おまえさん、山のお化けか」

 そう呟いたが、驚きや恐怖の色はなかった。むしろ、どこか楽しそうに見えた。老齢の彼はこれまで何度も山で不思議なものを見てきたが、こんなに大きな「化け物」を目にしたのは初めてだった。

「これは面白い」

 松吉はゆっくりと立ち上がると、外に出て、お化けのいる方へと歩いて行った。闇の中を進むと、月の光に照らされた地面に妙な跡が見えた。そこには、足跡が一直線上に続いていたのだ。

「ふむ……こいつはおかしい」

 普通の生き物であれば、歩くときは左右の足を交互に出すはずだ。だから、足跡は二本の線上。目の前の足跡はそうではない。まるで一本の棒の上を歩いたように、足跡が一列に並んでいる。松吉はしばしその足跡を見つめ、顔を上げて影を凝視した。

「お前さん、狐じゃろ?」

 すると、その大きな影がびくりと震えた。次の瞬間、どすんと音を立てて地面に倒れ込み、ゆっくりと姿を縮めはじめた。
 やがて、影の正体が月明かりの中にはっきりと浮かび上がった。

「ば、ばれちまったか……」

 そこにいたのは、一匹の小さな狐だった。狐はしょんぼりと耳を垂らし、松吉を見上げた。体を丸め、悪さをして見つかった子供のように震えていた。

「歩き方が惜しかったな」

 松吉は少しも責めるような様子はなく、むしろ感心したようにうなずいた。

「お前さん、化けるのは上手じゃが、足跡がダメじゃ。狐は歩くときに、前足と後ろ足を同じ場所に置く癖がある。それで足跡が一直線になるんじゃ」

 狐はしょんぼりと尻尾を巻き、うなだれた。

「せっかく大きな山のお化けに化けたのに」

「まあ、化け方が見事じゃったから、今度はもっとしっかり練習してくるんじゃな」

 松吉は笑って狐の頭を軽く叩いた。狐は悔しそうにぴょんと飛び退くと、ばっと闇の中に走り去った。松吉はその背を見送りながら、小屋に戻ることにした。

 だが、家に入ろうとしたとき、ふと背後に何かの気配を感じた。振り返ると、今度は先ほどとは異なる、さらに巨大な影が山の稜線に浮かび上がっていた。山そのものが動いているような、異様な大きさだった。

「なんじゃ?」

 松吉は思わず立ち止まった。先ほどの狐ではない。冷や汗が背中を伝うのを感じながら、彼はその姿を凝視した。

 すると、影がゆっくりと動き出し、その輪郭が次第に細かく分かれていった。無数の木の枝が一本ずつ、筋肉のように盛り上がり、膨れ上がり、やがて巨人のような姿を形作った。松吉はその顔を見た。ごつごつとした岩のような表情、瞳の代わりに、漆黒の闇がぽっかりと空いていた。

「さては、よそ者の山のお化けか」

 松吉はため息をつくと、ボソリと言った。

「やれやれ、年寄りをいじめるんじゃないよ」

 松吉の姿が一瞬にしてかき消え、巨人の影もまた、闇の中へと溶けて消えていった。やがて静寂が戻った後、あの狐がもう一度現れ、小屋の前をきょろきょろと見回した。

「爺さん、どこに行ったんだ?」

 狐は声を上げたが、返事はない。辺りはしんと静まり返っていた。狐は困惑した顔であたりを見回したが、やがて気づいた。小屋の周りに、松吉が歩いたはずの足跡が、一つも残されていないことに。

 狐は口を開けたまま、呆然と立ち尽くした。

「ま、まさか、爺さんが……?」

 そのとき、風の中で小さな声が聞こえた。

「今、よそ者の山のお化けを追っ払ったところじゃ。そうじゃ。化けるのが上手いのは狐だけじゃないんじゃよ」

 狐は顔を上げ、空を見上げた。山の頂きに浮かぶ大きな影が、ゆっくりと笑うように見えた。

 本物の山のお化け――それは、最初から松吉その人だったのだ。

 狐は震え上がり、そのまま山の奥深くへと逃げ帰った。狐は二度と人里に現れなかったという。

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