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創作論:お題の消化に際して注意していること

童話の師匠から言われたことが、今でも強く心に残っている。

師匠から出された「空飛ぶ自転車」という題で書いた童話を師匠に見てもらったときのことだ。師匠は言った。「あなたの文章の『自転車』の部分を、例えば『オートバイ』とか、『自動車』とかに置き換えても、物語が成立する。これは失敗作だ」と。それは単なる名詞の置換ではなく、題材そのものが物語にとって不可欠な要素として機能しているかどうかを問う指摘だった。

たとえば「赤いお化け」というお題を与えられたとする。そこでただ赤いカーテンに住むお化けの話を書いた場合、もしも青いカーテンに青いお化けが住んでいたとしても、同じ話が展開できてしまうならば、それはそのお題を消化できていないことになる。重要なのは、赤いお化けでなければならない必然性が物語に組み込まれているかどうかだ。

私はこの教えをもとに、赤いお化けの話を書くことにした。そのお化けは単に赤いだけではなく、運命そのものを象徴する存在として描いた。運命の赤い糸に絡まった魂を紡ぐお化け。赤い糸は、血脈や縁、そして宿命の象徴であり、これが青や緑に置き換わることはあり得ない。赤という色には、物語の中での役割が必然的に求められるのだ。

同様に、青いお化けの話を考えたときには、その青さに意味を込めなければならなかった。私は海の色を青く変えたお化けとして描いた。そして、童話として書くことで、青を独り占めしたお化けが、青を吐き出して皆と共有した時の素晴らしさを演出した。青でなければ表現できない物語の世界観を作り出す。

こうしたトレーニングを通じて、私はお題の持つ真の意味を捉え、物語を反射的に組み立てる力を養ってきた。単に即興で物語を作ることが、ただのスピード練習ではない。与えられたお題の中に潜む核を瞬時に捉え、それを物語の中核として展開する訓練だ。

私も未熟で、まだまだできていないが、反射神経を鍛えるということは、短い時間の中で物語の深層にある必然性を見極め、それをどう生かすかを瞬時に判断する力を養うことに他ならない。偉そうなことを言ってるが、師匠の受け売りである。

三題噺という形の訓練も、同様の考えに基づいている。いくつかの異なる要素を一つの物語の中にまとめ上げるためには、それらがただ同じ空間に並べられているだけでは不十分だ。それぞれの要素が絡み合い、互いに必要不可欠な形で機能していなければ、物語はただの寄せ集めになってしまう。だからこそ、私は「赤いお化け」というお題の中で、赤という色がもつ象徴性を捉え、それが物語の中でどう機能するかを常に考えるようにしている。

結果として、物語の中で赤や青といった色はただの装飾ではなく、物語を支える不可欠な要素となる。物語全体を貫くテーマや、キャラクターの運命を規定する要素として色を使うことで、単なる名詞の置換では到底成り立たない世界を作り上げることができるのだ。

こうして私は、名詞の持つ意味を深く掘り下げ、その必然性を理解しながらお題を消化していく。物語の中で何が必要で、何が本質的か――それを見極める力を養うことで、名詞の置換では成立しない独自の物語を紡ぎ出すことができるのだ。

と、師匠は言っていたような気がする。

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