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海のお化け、ハロウィンノベルパーティー2024
お題 海のお化け
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嵐の夜、漁師のタケルが遭難しかけていた。海は荒れ狂い、彼の小さな船は波に翻弄され、今にも転覆しそうだった。どれだけ櫂を漕いでも岸にたどり着けず、絶望しかけたその時――。
「大丈夫?」
透き通るような声が、嵐の海の中から響いた。タケルが顔を上げると、そこには人の目を奪うような美しい人魚が、海面に浮かんでいた。長い銀の髪が波の中でなびき、白い肌が輝いている。
「お、お前は……?」
タケルが驚きの声を漏らすと、人魚はふわりと微笑んだ。
「危ないわ。さあ、私が助けてあげる」
そう言うと、彼女は船を掴み、驚くほどの力で浅瀬へと引っ張っていった。タケルはただ見惚れるばかりで、何も言えなかった。そして、気づけば船は波の穏やかな入り江にたどり着いていた。
「ありがとう……」
タケルは震える手で感謝の言葉を述べた。彼女は再び微笑むと、さっと海の中に消えていった。
その日から、タケルは彼女のことが忘れられなかった。お礼を言いたい気持ちと、もう一度彼女に会いたいという思いから、タケルは小さな貝細工を作り、毎晩のように岬へと通った。そして、幾晩目かに、ついに彼女が現れた。
「これを、私に?」
タケルが渡した貝細工を手に、彼女は嬉しそうに目を細めた。その姿にタケルは胸をときめかせ、やがて二人は言葉を交わし合うようになった。タケルは次の日の晩も海へ行き、人魚に贈り物をして話に花を咲かせた。
しかし、その夜、タケルは村に戻らなかった。心配した村人たちが彼を探したが、誰も彼の姿を見つけることはできなかった。やがて村の若者たちは口々に言い出した。
「タケルはきっと人魚と結ばれて、どこか遠くの美しい海で暮らしているんだ」
「タケルが言うほど美しい人魚なら、俺も会いたい!」
そうして村の若い男たちが次々と海辺へ向かい、毎晩ひとりずつ姿を消していった。
そんな中、村長の息子であるリゲルが、今度は自分が行く番だと言い出した。父親である村長が反対しても、リゲルは人魚の噂に憧れ、どうしても行くと言って聞かなかった。村長は息子を柱に縛りつけ、家から出さないようにした。
「ここはわしが行く」
村長は暗い海辺へと向かい、静かな夜の波打ち際に立った。やがて、冷たい風が吹く中、人魚がふわりと水面に現れた。
「あなたも、私に会いに来たの?」
彼女は微笑んだが、村長は一歩前に出ると、強い口調で問いかけた。
「若者たちをどこにやった!」
人魚は口を閉ざし、ふいと目をそらした。顔がほんのり赤くなり、あたりを見回しながら、小さな声で言った。
「そんなこと……言えません」
村長は目を細め、彼女を鋭く見つめた。
「わしは知っておるぞ。そんな華奢な体で、タケルの船を引っ張れるはずがない。正体を見せい!」
村長が叫ぶと、人魚の身体がびくりと震え、彼女の顔はみるみるうちに青ざめていった。次の瞬間、人魚の体はどろどろと変形し、巨大な背びれと凶悪な牙を持つ、巨大なサメの姿へと変わった。それが、サメの姿をした、伝説の海のお化けだと村長は知っていた。
「最初は、いたずらしたかっただけなの」
その口から漏れた声は、あの人魚のものだった。村長は一瞬ひるんだが、すぐに息を呑んで問いただした。
「なんだと?」
「でも、毎晩のように来てくれるから、その……美味しそうだったから」
サメは恥ずかしそうに口元を覆い、ぽつりと呟いた。
「だから、食べちゃったの。みんな」
村長はその場で膝をつき、絶句した。
「食べた……だと……」
サメは申し訳なさそうに尾ひれを揺らし、少し後ずさった。
「だって、夜の海はお腹が空くのよ」
「このやろう!」
村長が立ち上がり、サメに飛びかかろうとしたその瞬間――
「――それでね、サメは村長をも丸呑みにしてしまったんだよ」
小さな漁村にある、小さな家の中で、老婆のタエが、幼い孫のロンに話していた。ロンは目をまん丸くしておばあさんを見上げた。
「おばあちゃん、その話、本当なの?」
「本当さ。だから、あんたも絶対にひとりで岬には近づかないんじゃよ。あの海のどこかに、まだ人魚の姿をしたサメがいて、若い男を狙っているんだからね」
「う、うん、絶対行かない」
ロンは震える手でしっかりとおばあさんの腕にしがみついた。タエはその姿を見て満足そうにうなずいた。