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釜揚げ師走、毎週ショートショートnote、410字

「なんで、師走なのにこんなに暖かいのじゃ?」
「宮司様、神様がまだ、出雲から戻っていません」
「なんと! もう師走だぞ。神無月は十月で、とっくに帰っていらっしゃるはずなのに、今年もか!」
「はい。また、賣豆紀神社めづきじんじゃにご滞在かと」

宮司はため息をつき、頭を抱えた。
賣豆紀神社めづきじんじゃ下照比賣命したてるひめのみことは、出雲大社祭神大国主命おおくにぬしのみことの第三の姫神にあらせられた。その容姿の輝かしさはまさに稀有で、あれほどの美しさを持つ存在は他にいないと言われている。

神々が出雲に集う時期になると、下照比賣命を一目見ようと賣豆紀神社へと足を運び、そこで宴が催される。そのため、神無月が過ぎても出雲から立ち去ることなく、年明けを迎る神もいるくらいだ。ここ数年、ここの神がそうであった。

「それと、暖冬と関係があるのか?」
「それが……師走様が、『神々がそんなうつつを抜かしているのならば、俺は温泉でゆっくりさせてもらう』と言いまして、温泉三昧なのです」
「釜揚げ師走か、それで暖冬か」

(410字)
#毎週ショートショートnote
#釜揚げ師走

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賣豆紀神社? そんな神社は聞いたことがない?
そもそも、旧暦十月に全国の神様が出雲に集まると言うのは、古い書物に書かれてきたことです。

皆さんは、出雲大社に集まるんでしょうと言われると思いますが、当時の出雲の神社は、出雲大社と佐太神社とが、二分して勢力を持っていたため、神々が集まるのは、出雲大社と書いてある書物と、佐太神社と書いてある書物に分かれていたのです。

つまり、出雲に神が集まる話には、2ルート存在するわけです。賣豆紀神社は、佐太神社ルートなので、有名ではありません。

出雲大社に集まる理由は、翌年の縁結びや天候や農作物の収穫などに対する会議のため。一方で、佐太神社に集まる理由は、死んだ母神・伊弉冉尊いざなみのみことを偲ぶためとされていて、集まる理由も異なります。

そのように神在月かみありづき(日本中の神がいなくなるので、神無月ですが、出雲には神が集まっているので、国内で出雲だけは神在月と言います)は2ルートあるので、それぞれ、お話ししましょう。

出雲大社ルート

会議が行われるのですが、会議は出雲大社だけで行われるのではありません。以下の場所で日にちを変えて会議があります。

出雲大社ホームページより引用

このポスターの神社が出雲大社ルートです。
万九千神社で、神等去出祭(からさでさい)が、最後に行われて、神様は、それぞれの神社へと帰られます。

この日の晩は、境内を覗いたり近くをうろうろすると神々の酒池肉林の邪魔をしてしまい、バチが当たるので、注意が必要です。

佐太神社ルートのお話

佐太神社の主祭神は中世から近世は伊弉冉尊(いざなみのみこと)でした。ところが明治になって、明治政府の神社合祀(じんじゃごうし)政策によって、主祭神が佐太大神になったのです。
そのために、イザナミを主体とした神集いの理由が想定しにくくなり、急速に出雲で神の集まる場所という認識がなくなりました。

それはさておき、佐太神社に集まった神様は、近くの賣豆紀神社にめっちゃ美人の神がいるってことで、そっちで宴会をします。このルートに入った神は、あまりに楽しくって、帰るのが十二月や一月になっちゃったりします。

柳田國男の祭事習俗語彙という本を見てみると、

カミガヘシ
 因幡の八頭那では、十月二十五日が神返しで荒れ日だといふ。神々が九月の節供をすませてから、出雲へ酒造りに行かれ、出日に戻って來られるのだといふ者もある(因伯民談二巻四號)。村によっては十一月一日にも阪迎へをする。東伯中津の山村などは、神々の出發は十一月一日、神返しは十二月二十五日で神返し餅を揚く。
(略)
宮城縣の南方などでは、神々が出雲へ行かれると言ひながら、其出發は十二月の八日、歸着は二月の八日であつて、此日は山が大へん賑やかだといひ、(略)

祭事習俗語彙
柳田國男 

 出雲に行った神様は十月末に帰ってくるパターンが多いのですが、そもそも、11月になってから出雲に向かい、帰ってくるのは12月末という神もいるし、なんなら、十二月に出雲に向かい、2月の初めに帰ってくる神もいるらしいのです。

 会議が目的では、そんなことにはなりませんので、こちらは、佐太神社ルートの話ですね。

 そんなこんなで、先ほどのようなショートショートになったわけです。

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