畏れに頼る人々
4年間勤めた会社を2021年末に退職してから3ヶ月が過ぎようとしている。
元々、「何かを研究し、書くことがやりたい」「そのために自分なりに時間を作りやすい環境にしたい」という思いで退職を決意したのだが、その通り、思う存分YouTubeに寿命を投下した。
流石にそろそろやばいと思い、「何を調べてみようかな」と考えていた。
その中で、今のところ「世の中のことを”恐れ・畏れ”という切り口で考察してみたい」という気持ちが強くなっている。
生まれて初めて読んだ漫画は”地獄先生ぬ〜べ〜”だったのもあって、小さい頃から神話や妖怪、伝承に興味を持ってきたこと、そして「人一倍ビビリである」ことが発端だ。
ただ、どこから何をすればいいのか全くわからない状態なのではっぴぃえんどの”風をあつめて”を聞きながらまた思索を巡らせていた。
そんな中、ふと「この歌詞ってどういう意味があるんだろうか」という疑問が頭によぎった。大変示唆に富んだ、文学的な歌詞はどのようにして生まれたのか。早速思い切り脱線して調べてしまった。
寄り道に寄り道を続けていくと、同曲の作詞を担当された松本隆氏が「君は天然色」も作詞されたことを恥ずかしながら初めて知った。
さらに、どうやらこの歌詞は同氏が妹を亡くされた時に作詞されたらしくとても意外だった。心地の良い曲調からは想像もつかない事実だ。
「その時のことを書き残すことは、妹のためにも大事だと思った。つくりものじゃなく、正直に。僕にしかできないことだから」(出典:神戸新聞NEXT https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202005/0013381007.shtml)
このことを知った後に「君は天然色」を聞き直すと、正直ゾッとした。呪いに感じたのだ。
彼女の陰はこの歌に篭り、数々のアーティストにカヴァーされ、それは数々の場所で歌われ、人々の心に染み渡っている。
まず連想したのは鈴木光司氏著「リング」の貞子だ。一連のシリーズ内で徐々に明かされていくのだが、超常的な力を持った貞子が呪いのビデオなどを通じて連鎖的にウイルスを感染させていく様子が描かれている。それは自身の復活がまず大きな目的となっている。
一方で、それは決して悪いものではないとも思う。
「呪う」という言葉は元々「祝詞・宣る」という言葉が起源だと言われている。一見悪意とも受け取れるものでも、その背景にはその人自身の「こうなってほしい」という偉大なる神々への強烈で切ない願い・祈りの気持ちが込められている。
人は強烈に自分の生命、面影、意思など、何かを遺したいと思った時に見方によれば身の毛もよだつような、一方で健気な、偉大な畏れを携える呪いや祈りに縋りたくなるのかもしれない。
「僕らが灰になって消滅しても、残した作品は永遠に不死だ」
これは松本隆氏が大滝詠一氏に贈った言葉だ。
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