暑いのは涼しいせいだ
連日30度台後半の激しい夏の暑さも毎年のように続けば騒ぐほどのものでもなくなる。
今日も暑いねえとは思うが、もう死んじゃうと思うほどでもない。
もしかすると、人間が持っている数々の特殊能力のなかでも、「慣れ」というのは最も強いものなのかもしれない。
世界を見渡せば暑いのは日本だけでないらしく、世界のあちこちが猛暑に襲われているという。
考えてみれば世界が暑くなるのも当たり前のことで、これだけどこもかしこもガンガン冷房をつけていたら、屋内が冷えた分の熱が屋外に出されて灼熱地獄になるのも当然の話なのだ。
昭和の時代の暑さは幾分マイルドだったが、クーラーなんていう贅沢品があるのは社長かプロ野球選手か庭を掘ったら石油が出てきたような大金持ちの家だけで、一般庶民は屋外と変わらない暑さの家で大汗をかいていたように記憶している。
辛うじて涼が取れるものといえば扇風機くらいのもので、僕のような子供は扇風機の直ぐ前に陣取り、扇風機が首を振る動きと自分の顔面をシンクロさせながら、「あ゛あ゛ーーー」と声を震わせていると「みんなに風が当たらないから馬鹿なことをしてないでそこをどけ」と母ちゃんに頭をはたかれていたものだった。
これがさらに一昔前になると扇風機があるだけマシで、暑い暑いと言いながらうちわで扇ぐくらいのことしかできなかっただろう。
それに引き換え、現代は屋外は地獄のように暑くても、家でもコンビニでも公共施設でも屋内に入りさえすればひんやりとした空気を堪能することができる。
屋内から屋外まで暑さに切れ目がない昭和時代と、屋外は灼熱、屋内は爽涼と厳格な境界線が引かれている令和時代、どちらを善しとするかは人それぞれなのではなかろうか。
昔の人間にはそれを実現するだけの技術力や経済力がなく、今の人間にはそれができるだけの力があるというだけのことだ。
昭和の人の中にも「家の中がキンキンに冷えてるなら少しくらい外が暑くたって我慢するよ」と言う人もいるかもしれない。
外気を熱くさせずに室内を冷やす技術が普及するには、更なる技術の進歩とそれに見合うだけの時間がかかるだろうが、俺ではない他の誰かがきっとやってくれるに違いない。
それを楽しみに今しか味わえないかもしれない暑さを楽しもうではないか。
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