アリヅカコオロギは木に登る
タイトルの通りで、だから何?という話かもしれないが、本当に木に登るのである。個人的にちょっとした発見だったので紹介する。アリヅカコオロギ類Myrmecophilus sp.という虫がいる。バッタ目に属するが、体長はわずか3 mmほどで翅もなく、珍奇な形態をしている(トップ画像参照)。この虫はアリの巣の中に生息し、アリから餌をかすめ取って生活することで知られている。この虫を含む好蟻性昆虫については、小松貴さんの「裏山の奇人 野にたゆたう博物学」や丸山先生の「アリの巣をめぐる冒険 未踏の調査地は足下に」のような一般向けの著書にも詳しく紹介されているため、虫好きの人ならば、少なくともそれらの存在について知っている人は多いと思われる。しかし、アリの巣をただ漫然と眺めていても見つかる虫ではないため、実際に見たことがある人は少ないのではないだろうか。
私が初めてアリヅカコオロギを見たのは、2019年3月だった。当時、自宅近所の草ぼうぼうの河原の一角にカーペットが敷かれており(おそらく釣り人が勝手に敷いたもの)、カーペットを剥がすとトビイロケアリの巣が広がっていた。ワラワラと慌てて動き回るアリの中に、大変すばしこく動き回るアリヅカコオロギがたくさんいたのである(下写真)。
また、厚木市内の寺院の敷地内で、トゲアリの行列に追従するアリヅカコオロギ(おそらく同種)を見たことがある(下写真)。
アリヅカコオロギは、このように、アリの巣の中を暴いて観察したり、アリの行列をじっと眺めていると(これは根気が要るが)見つけることができる。
では、樹上に伸びるアリの行列ではどうか?別にアリヅカコオロギ探しが目的ではなかったが、2019年9月下旬の夜に、厚木中央公園の植樹に伸びているアリの行列をライトで照らして眺めていたら、行列の脇をアリヅカコオロギが走り回っているのをたまたま目撃した。(下写真)。
木に登って上下方向の動きも気にせずに走り回っていたのに驚いたが、行列の主がハリブトシリアゲアリだったため、さらに驚いた。アリヅカコオロギは、通常ケアリ属やトゲアリに寄生するものであり、シリアゲアリ属に寄生する種は知られていない。その日から、会社帰りの夜間に公園植樹のアリの行列を繰り返し観察したところ、毎回1時間ほどしつこく見て回れば、アリの行列に追従するアリヅカコオロギが1匹か2匹は見つかることが分かった。アリヅカコオロギが木に登るのは、それほど珍しい生態ではないようである。しかし、ハリブトシリアゲアリの行列に追従していた個体を見たのは最初だけで、他はすべてトビイロケアリの行列から見つかった。おそらく、本種の本来の寄主はトビイロの方で、ハリブトから見つかった個体は、一時的にトビイロの行列を見失っていただけであろう。
アリヅカコオロギの寄主を確定させるため、後日の日中、木の根元のトビイロケアリの巣穴に水で薄めたハッカ油をスポイトで注入してみた。虫が嫌う芳香で、巣穴からアリヅカコオロギを追い出す作戦である。ハッカ油を注入すると、当然ながら大量の個体のアリが巣穴から出てきて、さらに待つこと数分で、アリヅカコオロギの幼虫と思しき小型の個体が3匹出てきた(下写真)。
確かに、本来は巣穴の中に生息しているようである(ハッカ油注入後2時間もすると、巣は元の平穏を取り戻していた)。
厚木中央公園は、周囲を完全に市街地に囲まれた都市公園であるが、このような環境でもアリヅカコオロギは生息している。普段目にしないだけで、身近な地下空間に膨大な個体数が生息しているのだろう。公園内には、他のアリの巣を乗っとる「一時的社会寄生」の生態を持つヒゲナガアメイロケアリも生息している(下写真)。
この公園内での乗っ取る相手は、おそらくトビイロケアリである。毎年、新しく誕生した雌アリが、周辺のトビイロケアリの巣穴に果敢に飛び込んでいき、トビイロケアリの女王の暗殺を仕掛けているのだろう。都市公園のような人工的な環境でも、小さな虫たちの冷徹で命がけのドラマがある。
本稿に関する詳細は以下の報文を参照されたい。
齋藤孝明, 2020. 木に登るアリヅカコオロギの一種(厚木市中央公園での観察記録). 神奈川虫報, (201): 49-52.