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薬不足から垣間見る、日本の未来の明るくない予測

はじめに

 2025年が明けて早々、暗い話から始める。最近まじめに考えている、日本の将来について。遠い未来ではなく、数年から20年くらい先の、割と近い将来についての話。

現在、日本の肥大化し過ぎた社会保障が大きな問題であることについては、論を待たない。年金にしても公的医療保険にしても、人口が増加する前提で過去に設計された制度は、人口減少社会に合わせて必然的に修正されるべきだが、政治がその議論をずっーと避けてきたため、現行制度維持のために、現役世代の負担が既に限界近くまで重くなっている。

その一方で、物価高対策としての補助金・給付金や、大学無償化などの、明らかに人気取りのバラマキ的政策は、政治家の口から簡単にポンポンと出てくる。こういうニュースを見ると、本当に暗然たる気分になる。

一体、この国のどこにそんな金があるのかと。

現在の日本の経済状況でバラマキ的な政策を実行すると、一時的に見かけ騙しの効果はあるかもしれないが、いずれにしても貨幣供給量を増やす政策なので、必然的に円安・インフレを助長してしまう。かと言って、円安・インフレ阻止のために日銀が金利を上げると、政府債務の利払い負担が加速度的に増えるため、財政が持たなくなる。日本経済は、客観的に見れば既に「詰んだ」状態にある。

この状態から脱するには、後述するように、大経済改革が絶賛進行中のアルゼンチンを見習って、国家の基本設計を「小さな政府」に転換するのが処方箋だ思うが、その前に決定的に重要なのは、国民も政治家もいい加減に現実を見て、

日本にはもう金がない。残念ながら、もう豊かな国ではない。

と認識を改めることだろう。政治家の発言を注意深く観察しても、「日本には金がない。財政に余裕がない」旨を明言する人は今のところいないし、一般の人々でも、そこまで切迫した危機感を持っているのは少数派だろう。しかし、もうそろそろ悠長に構えてはいられなくなりますよというのが、私の認識である。

一体何がきっかけで、全国民が日本の貧困化を実感することになるでしょう?最近これを考えているのだが、現状思いつくのは、

①特に食品の価格高騰
②日本国債格下げなどを契機とした円安パニック
③深刻化する薬不足

の3つである。①、②はとりあえず脇において、③の薬不足は、多くの国民の行動に影響し、かつ、現状の医療業界の利権構造に破壊的なインパクトを与える可能性があるので、注目している。

深刻化する薬不足

まだ世間ではあまり騒がれていないが、現在、医療現場では、深刻な薬不足に悩まされているらしい。Xの投稿を見ていると、現場の医師たちの悲痛な叫びがたまに流れてくる。不足している薬の名称を拾うと、抗生剤のクラリスマイシン、ジスロマック、オゼックス、ミノマイシン、麻酔薬のキシロカイン、フェンタニルなど。薬は専門外なのでそれらの重要度は分からないが、いずれも最先端の新薬などではなく、ごく普通に使用される汎用的な医薬品が慢性的に不足しているようである。

現在の日本で薬の供給不足が発生している直接的な原因は、製薬会社にとって、日本が「儲からない市場」になりつつあるからである。そうなっている背景には、国民皆保険の制度に組み込まれた、医薬品業界特有のビジネスモデルがある。

日本の医療保険制度では、薬の販売価格である薬価は、厚労省が決定している「公定価格」となっている。製薬会社は、自社の製品をいくらで売るかについては、原則として決定権がない。保険の支払いの原資は、当然ながら国民が強制加入している保険料収入(一部税金は入るが)で、年間40兆円を超える水準にある。この40兆円を診療報酬(医者の儲け)と薬価(製薬会社の儲け)に分配しているわけだが、製薬会社の取り分である薬価が、ここ数年、改定の度に引き下げられている。

この「公定価格による薬価の引き下げ」が、営利企業においていかに不利なビジネスを強いられるかは、企業勤めの方ならば容易に想像できると思う。本来、モノの値段は需要と供給の関係で自由に決まるべきものだが、薬の場合、それが通用しない。特許の切れた汎用薬であっても、医療現場における重要性は変わらず、製造コストも必然的に下がるわけではない。しかし、そんな事情は一切考慮されず、問答無用で価格が下げられていく。

この制度上の本質的な不合理性に加えて、昨今の円安が問題を悪化させている。上記の薬価は円建てで設定されるため、大幅に円安が進むと、簡単に赤字になってしまう。これまでは昨今のような大幅な円安になることはなかったので問題が顕在化しなかったが、150円/ドルを超える円安が常態化したため、決定的な悪化要因となった。

しかも恐ろしいことに、この薬不足の問題はまだ始まったばかりで、今後さらに悪化する見通ししかない、ということである。

薬不足が社会に与えるインパクト

薬不足が社会に与えるインパクトを予想してみよう。

まずは医療業界から。
上記のように、医療費の保険料収入40兆円の配分で、薬価が年々下がり、診療報酬の方は逆に年々上がってきたのは、業界団体の政治力の大きさを反映した結果だろう。医師会と与党が結託した利権拡大の構造は、今更言うまでもない。しかし、この医者の利権拡大の結果として、診療に支障をきたすほど薬不足が深刻化したらどうなるでしょう? 現状では、薬不足が原因で重要な治療ができなくなったというレベルの話はさほど聞かれないが、近い将来、本当にそういう事態になる可能性が高い。手術が必要な重症の患者がたくさんいるのに、麻酔薬不足で手術ができない。薬さえあればできる診療が、本当にできなくなる。やる気のある医師にとっては、かなり無力感に苛まれる事態になるのではないだろうか。しかも、この事態を招いた主要因には、過去の医師会の近視眼的な行動がある。医師の過大な利権拡大のツケを、医師自身が払わされる事態になる。こういう事例は珍しいのではないだろうか。

医療を受ける一般市民から見るとどうでしょう?
現状、風邪症状で簡単に医者にかかるのが当たり前の風潮があり、発熱したらとりあえず医者にかかって診断を受ける人が多いと思うが、この辺の常識が根本から覆る可能性が高い。風邪で医者にかかったところで、解熱剤等の薬も簡単に処方してもらえなくなり、風邪が流行る度に、ドラッグストアで感冒薬や解熱剤の買い占めが起きるかもしれない。これが、単に無駄な医療費の削減につながるなら悪いことではないが、事態はもっと深刻化する可能性がある。手術が必要なほど重症なのに、薬不足のせいですぐに手術が受けられないとか、治療が遅れて若い命を救えなかったのような話があちこちから出てくる。ここまでくると、限られた医療資源の有効活用のために、どの命を優先して救うべきかという重い議論が全国民に突き付けられる。高齢者の進行したがん患者の積極的な治療はできなくなるかもしれない。どの病院でも、どの患者を優先して治療するかが議論され、通常診療の現場でも実質的にトリアージが常態化するかもしれない。社会全体で見れば最適化される方向かもしれないが、医療を簡単に受けられなくなるというのは、個人レベルでは心理的に大きな影響があるのではないだろうか。

おそらく難航する解決策

薬不足が引き金となって、現行水準と比べて日本の医療の質の悪化は必至な状況なので、解決に向けて早急に手を付けるべきなのだが、残念ながら、政治の動きにその兆しはない。まあ、そりゃそうだよねと。この問題を解決しようとすると、医療費の診療報酬/薬価の配分比率を変えるとかいう小手先の方法ではまったく足りず、医療費の使い方全体を見渡して、現状の無駄遣いを徹底的に洗い出して、その使い方を節約志向に転換する必要がある。ところが、これを実行しようとすると、割を食う既得権益者があまりにも多いのだ。

風邪の軽症者は基本的に自宅で療養しましょうとか、医療費の負担割合を高齢者も含めて一律3割にするとか、救急車は有料化するとか、子どもの医療費ゼロをやめるとか、85歳超の高齢者の積極治療は保険適用外にするとか、自分で食べることができなくなった高齢者は基本的にお見取りしましょうとか、花粉症の治療は保険適用外にするとか、同じ効能の市販薬がある薬は保険適用外にするとか、簡単な薬の処方は薬剤師にもできるようにするとか、革新的な新薬でも費用対効果が悪い薬は保険適用外にするとか、等々。

この手の素人でも思いつくような節約策を地道に実行すれば兆円単位の原資ができて、薬価の引き上げも十分可能だと思うが、これらはすべて、医者の利益縮小に直結するため、医師会から猛反発がくるのが目に見える。また、票田の高齢者の負担増につながるため、政治サイドからも強い反対が出るだろう。おそらく、改革は一気には進まず、少しずつ何年もかけて進む。利害関係者のまとまらない議論を横目でみながら、国民は、薬不足による医療の悪化を実体験していく。昔はこんなんじゃなかったのに。日本は貧しくなったなと。

解決策として、保険料のさらなる引き上げも原理的にあり得るが、もはや無理である。私が勤める会社の健保組合の2024年度の予算計画(下図)では、15.5億円の赤字予算である。後期高齢者支援金制度が始まってから赤字が常態化しており、積立金残高は111.4億円しかない。赤字幅は年々拡大するので、あと数年で組合を維持できなくなり、おそらく解散して協会けんぽに移行することになるだろう(現状まったく騒がれてないが)。

どこの大企業健保もおそらく同様の状況で、今後、企業健保の解散ラッシュが確実に起きる。そうなれば、さすがに医療費削減が政治的なアジェンダに挙がるだろう。「取りやすいところから取る」のはもはや無理で、外堀は埋まっている。

個人の自衛策としての投資

個人的に、上記の医療の悪化を通じて、「日本にはもはや金がない」という認識が広がるのを期待している。それが常識となれば、バラマキ的政策を掲げる政党は自然に忌避されるようになるし、政府の無駄遣い削減が支持され、政府を小さくする方向に政治の流れが変わるかもしれない。しかし問題は、そこまで行くのに何年かかるか?ということである。少なくとも今後数年間は、社会保障制度はほとんど変わらず、現役世代の負担が重くなる方向に改悪が続くだろう。その間に円安はさらに進むかもしれない。円建てで資産を持っていると、いつの間にか常態化したインフレによって、購買力が目に見えて減っていくのを実感するだろう(既に、簡単に海外旅行に行けなくなったと実感している人は多いのではないか?)。

私がこの記事で言いたいのは、これからの時代、個人レベルでも常にアンテナを張ってうまく立ち回らないと、いつの間にか国にお金を奪われて貧乏になりますよ、ということである(インフレを敢えて放置するのも、政府債務の軽減を目的として、政策としてはあり得る話である)。

私の認識では、昨今の経済情勢を考えると、円建てで金融資産を持っているのはあまりにも危険で、少なくとも過半はドル等の外貨建てで保有すべきである。手段はいろいろあるが、単純に低レバレッジでFXでドルを買い持ちしてもよい。スワップ金利が日々蓄積していくのを見るのは楽しいものである。

米国株のインデックスに投資するものよいが、私が特に注目しているのはアルゼンチンである。アルゼンチンというと、日本ではあまりにも遠くて馴染みが薄く、慢性的に財政不安とインフレに苛まれている国という印象しかなかったが、2023年12月に自由主義経済学者のミレイ大統領が就任して以来、徹底した歳出削減を行い、政府の仕事を文字通り大幅に縮小し、16年ぶりの財政黒字やインフレ率の大幅改善など、極めて分かりやすい成果を上げている。アルゼンチンの株価指数(Merval index)は下図の通りで、この1年で急上昇している。

残念ながら、アルゼンチンの株価指数に連動するETFは日本の証券会社で取り扱いがないが、米国株取引口座を開けば、米国市場に上場しているアルゼンチン企業のADRを買うことができる。私は2024年5月からアルゼンチンの主要銀行株に投資しているが、2024年末時点で既に1.8倍ほどになっている。改革の成果が出るのはこれからなので、まじめな話、今後10年で100倍もあり得ると予想している。

このように、ちょっと世界に目を向ければ、買って放っておくだけで、少なくも円建て資産の目減りをキャンセルすることができるのである。投資において時間は資源なので、特に若い方は積極的に情報を取って、リスクを取って資産運用に挑戦してほしい。繰り返すが、円だけで持っていると、国からの収奪に対してあまりにも無策である。

おわりに

最近、こういう話を周辺にいる大人に振ってみて反応を見ているのだが、少なくとも自分の周辺では、肥大化した社会保障について問題意識を持っている人が皆無で、常々愕然とさせられている。やはり、薬不足とか円安ショックとかの具体的な事態が起きないと、人々の意識は変わらないものかもしれない。

歴史的な視点で見れば、現在は、世界的な政治の潮流が、社会主義(大きな政府)から自由主義(小さな政府)に転換する過渡期に位置するのかもしれない。日本にとって幸いなのは、このタイミングにおいて、アルゼンチンという、自由主義に基づく改革の成功者の先行事例があることである(改革の成功を確認するのはこれからだが)。改革を主導するミレイ大統領のスローガンは、「我々には金がない」である。何と率直で正直なことか。日本では、いつになったら率直にこれが言える政治家が現れるのだろう。日本も、社会保障制度の改革が始まるためには、結局、「我々には金がない」と全国民が身をもって体験する必要があるかもしれない。よほどカリスマ的な政治家が登場しない限り、日本の政治が自由主義的に転換するには、10年単位の時間が掛かるだろう。どうか、国が貧しくなっても個人レベルではそうならずに済むよう、各自知恵を絞ってうまく立ち回りましょう(理不尽な話ではあるけど)。

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