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器用なのか不器用なのか

器用だとしても

 私がギターで弾き語りをしているのを知っている人が、私の描いた絵を見たり、DIYしたものを見たりする。
 あるいは、野球をやっていて、右利きなのに左でキャッチボールしたり、右でも左でも打ったりするところを見る。
 そうすると「器用だよね。」と言う。

 確かに器用なのかもしれないけれど、器用ならばもっと早く(短期間で)出来るようになっているだろうし、それなりの努力というか工夫をしたり、何より丁寧にやるということを心がけながらやっているから、それなりに出来ているだけだと、本人はそう思っている。

 それに、本当に器用だったら、少なくとも1つくらいはきちんとした収入につながっているんじゃないかとさえ思っている。

 つまりは、器用貧乏であり、多芸は無芸ということである。

手先の器用さと要領の良さ

 「器用」という言葉を調べると、①細かい作業などが上手に出来る、いわゆる手先が器用だということと、②何かの物事に対して要領良くこなしてしまうことの2つが書かれている。

 仮に、手先は本当に器用だとする。
 それでいて、もし物事を要領よくこなすことが出来れば、その器用さを収入につなげられたかもしれない。
 けれど、実際はそうではない。

 さて、この場合、①は当てはまるけれど、②は当てはまらないではないか…

 やっぱり、器用ではなく「器用貧乏」であり「多芸は無芸」なんだなと、思うのである。

自作の猫脱走防止扉


器用に見える要因を活かせるか

 私が本当に器用かどうかは、ひとまず置いておいて、私は、前に書いた「工夫」をしたり、「丁寧にやることを心がける」ということは、何をやるにも大切なことだと思っている。
 そして、それが器用に見える要因の1つになっていて、何かに活かせることだと思っている。

 次回は、絵を描くことに関して書こうかと思います。「器用だよね。」という言葉と少し似たよく言われることと「丁寧にやる」ということについて。

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