位置と距離【前編】
技術と表現と自由
今から20年近く前、20代の後半ごろに読んだトレーニングに関する本に書かれていたことです。
「誰にでもできる=簡単」 なわけではない
中学校の野球部に外部指導員として出入りするきっかけとなり、また自分の身体やその使い方、野球観の変化のきっかけにもなったその本は、見た目は簡単そうだけれど、内容はそうでもありませんでした。
順を追って丁寧に理解していけば本当に目に見えて「変化」するのですが、その作業が少し面倒くさかったり、理屈っぽいとか回りくどいという印象を与えるんです。
だけど、面白い。
実際に、部員全員、走るのが速くなり、投げるボールも速くなり、打てるようにもなり、何より中学生特有ともいえそうなケガや身体の不調がほぼゼロで、肘を痛めて野球を辞めていた子も戻ってきて普通にプレーできるようになるほどでした。
私も、医師から本格的に野球をやることは無理だと言われていたケガも問題なく、土曜日、日曜日には、バッティングピッチャーとして1日300球以上投げられるようになり、後に硬式のクラブチームに所属してプレーもしました。
簡単と困難の日本語
パッと見の内容はとても簡単だとしても、出来るようにならなければ何の意味もありません。
内容は簡単に読み取れるのに、実践すると期待した結果は得られない、達成が困難では時間の無駄です。
逆に、面倒くさいと感じたり、一見難解な内容でも、よく見ていけば1つ1つの内容は明解で、少し時間がかかっても確実に出来るようになれば、有意義な時間になり、達成感も得られるでしょう。
要するに、スタート地点で「どうしたいのか」「何のためにそれをやるのか」が大切なんだということですね。
なんとなく「出来たらいいなぁ…」なのか、絶対に「出来るようになってやる!」なのか、この違いで「方法」への印象がガラリと変わってしまいます。
スタート地点や目指すところという意味での「位置」と、その方向を含めた「距離」がとてと大切さだとです。
次回は、「位置と距離 後編」として、さまざまな位置と距離、猫の絵の中の位置と距離について書こうと思います。
参考図書
『奇跡のトレーニング 初動負荷理論が世界を変える』 小山裕史
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