大人になるとあべこべになる
描けるから楽しい?
「そんな風に絵が描けたら楽しいでしょうね。」
私が描いた絵を見た人から、よく言われる言葉です。
私に対してではなくても、「あんなに○○出来たら楽しいだろうな。」といった言葉を聞くことはよくあるんじゃないでしょうか。
正直なところ、私は、ものすごく絵が上手なわけではありません。習ったこともありません。
絵を描く技術に偏差値があったとしたら、50よりは上かもしれませんが60には届かないといったところでしょうか。
それでも、そう言われます。
確かに、絵を描くことは楽しいと思っていますが、描けるから楽しいかどうかはわかりません。
少なくとも、子供の頃は"描きたいから描いて"いて、"楽しいから"描いていました。
たとえ上手く描けていなくても、描くこと自体が楽しいと思っていたんですね。
歳をとるにつれて
幼稚園児のころは、ガンダムやキン肉マン、ザリガニ、カブト虫などを描いていました。
小学生の頃は、ドラゴンボールばかり。たまに、友達に頼まれて少女漫画のキャラクターを描くことも。
中学生になると、YAIBAやコナン、るろうに剣心、あだち充さんの漫画のキャラクターなども描いていましたが、高校まで野球をガッツリやっていたので、頻度はどんどん少なくなっていきました。
大学生の時は、たまに芸能人やスポーツ選手などの似顔絵を描いたりもしましたが、この頃はギターに手を出したために、それほどは描いていなかったと思います。
結局、野球にしろギターや歌にしろ、出来るから楽しかったわけではなく、やりたいからやる、やったら楽しかったから続ける、結果的にある程度出来るようになった、というようなことなんです。
大人になるにつれてなのかはわかりませんが、「○○出来たら楽しいだろうな」というものは、行動に移せなかったか、あるいは、やったけど楽しくなかったり結果に満足出来なかったりして続けることも出来ず、出来るようにもならなかった。だから、「出来る=楽しい」のような構図が出来あがってしまうのかもしれませんね。
固定観念やリミッターを外す
ギターを教える時によくあるのですが、「音楽の才能がないから出来ない」とか「自分には出来るはずがない」と固定観念を持っていたり、リミッターをかけたりしている人が多いです。
少しでも興味があったら、チャレンジしてみて、仮に出来なかったとしても、その中に楽しさを探してみるのもいいかもしれませんね。案外それが楽しかったりするかもしれません。
初期仏教の本で、集中(没頭とでもいいましょうか)すると楽しくなるというような内容を読んだ記憶があります。
普通は、楽しいから集中したり没頭したり出来ると思いそうですが、そうやって、いつのまにか「あべこべ」になっていくのかもしれませんね。
次回からは、書こうと思っていることを、ランダムにつらつらと書いていこうかと思います。
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