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見えないものが奪った見えていたもの
行き場のない感情を昇華するには、時間が経過するのを待つしかないと思う。
といっても、時間がいくらか経つまでこのまま自分の中で好き勝手に走り回られても困る。
だからというわけでもないが、しっかりここに記録することで整理して今の気持ちを残しておきたいと思ったので、書いてみようと思う。
この世界情勢(このご時世、という言い回しがもうテンプレートのように感じてあまり使いたくない)で、各々失ったものは
「諦めること」と「やめること」
この二つの違いについて話していきたい。
人生において、諦める、ということはあまりしたくないと思う。なぜならそれは、「まだ続けたい」からだ。
まだ継続したくて、それが今途絶えたら後悔を伴うからだ。
では、やめる、ならどうだろう。
そう、自主的に、自分がやめたくてやめるのだ。
やめることは簡単だ。
なぜなら自分がやめることに納得していて、そこにマイナスの感情はあまり発生していないからだ。
辛さは簡単には消えない
当たり前のことだ。
人は楽しい記憶より辛い記憶の方が容易に思い出せるということを聞いたことがある。
なぜだろう。
辛い記憶より楽しい記憶を覚えている方が、人としての精神的にも安定を図れるはずだ。
ではなぜ現在の私たちは、辛い記憶を鮮明に思い出せるように進化してしまったのだろう。
考えれば簡単なこと。
2度と同じ危険にさらされないためだ。
辛い記憶をそのときの状況、経緯まで覚え、そのような場面
なんでもないような。
なんでもない夜。それが続いている。
暇をつぶすためのYouTube鑑賞にも飽きてきたので、文を書くことにする。この文をどーするかなんかは全く考えていない。ただその時のぼくの頭の中をちょっとばかしぼく自身で分析して文にするだけだ。
「ぼく自身にしかわからないこと、ぼくにもよくわからないこと」
それを書き殴って(といっても時代は進んでいるので手書きの文字ではないが、)いこうと思う。