小1小2、小学校は地獄
唯一の友と離れ離れになる
通っていた幼稚園ですが、妻がいろいろと探して我が子にとって少しでも良い=あっている園を探したのですが、実はその園は我が家がある小学校区とは別の校区にある園だったのです。結果として・・・私は卒園の直前までわからなかったのですが・・・その園から我が子と同じ小学校に通うのは我が子を含めて2人ということだったのですね。
通っていたその幼稚園、前にも書いた通りそれなりに厳しさもありながらとても暖かい園で、親御さんたちもとてもしっかりした人たちばっかりだったせいか子どもたちもしっかりしていたんですね。ちゃんと統率が取れているというか。
そんな中から知らない子どもばっかりの環境で、おそらくそこまでは統率が取れていない子どもたちの中に入った時にどうなるか、という心配というか不安はありました。まぁそんなことを感じるのは我が家だけではないでしょうが。それでも、その園には同じ小学校に通う予定のお友達がたった1人ですが存在していたというのはとても心強かったのです。
それがあと少しで卒園、いよいよ入学式も目の前だ・・・という2月頃だったでしょうか、いきなりそのお友達が親御さんのお仕事の関係で引っ越すことが分かったのです。しかも県外、県外も県外ですよ、直線距離で500km以上も離れたところに引っ越すことになったのですから。おいそれと会うことすらできない。もういっきに心配が何倍にも大きくなったのを覚えています。
小学校の先生と合わない
果たしてその原因は何であったのかは今でもわかりません。
ただ、学校の先生とは徹底的に合いませんでした。標準的な子どもたちとはかなり乖離はあったと思います。幼稚園で鍛えられたものもありますし、その時に身に着けつつあった理解力とか記憶力とかのおかげもあったでしょう。それでも小学校という新しい環境に入ってくる子どもたちをもう少し細かく見てソフトランディングするように促してくれるとありがたかったのですが・・・地方の公立の小学校だとそんなことは望むのがいけないのかもしれませんが50歳前後の女性の先生でしたがそれはそれはひどいものでした。我が子が標準からずれているとしても、それなりにひどい言葉をもらったこともあったみたいですし、2年間はとにかく「行きたくない!」とごねる毎日で、妻は本当にしんどい思いをしていました。
リフレッシュの時間は大切
結果、週末にそれぞれ1日だけ通っている塾とピアノレッスンは娘にとってかけがえのないリフレッシュの時間だったようです。
加えて、妻の「いろいろな社会に連れて行っていろいろな人と接点を持つ」作戦は私も強力に支持をしていましたが、これも娘にとってはよかったものと思われます。
知り合いの学校を引退した先生がやっていたお茶の作法を学ぶ会にも月に1回くらいでしょうか、参加していましたし、他にも図書館でのイベントに行ってみたり、地元の町内会のイベントにも積極的に参加していましたし・・・私は人づきあいが苦手なのでこういうことを積極的にやってくれた妻には感謝しかないのです。
そういう学校以外のいろいろな場所に救われた、そんな2年間でした。
小3・小4の担任の先生に救われる
ようやく担任が交代になる時期、交代になる先生はまさかの新卒で何もかもが初めての方でした。やや不安ではありましたが、むしろ若い方の方がしっかりとみてくれるだろうと期待を持って新学期を迎えたのですが、これが期待以上、勉強の教え方とかそんなのは塾にも通っていたのでまったくわかりませんでしたが、とにかく我が子はその先生のことを気に入ってくれて、学校が嫌とは言わなくなったのです。2年間は一切言いませんでした。本当に救われた。学校もまずまず、先生に会って先生と話をするのは楽しい、塾も楽しい、ピアノも楽しい、お茶を習うのも楽しいとすべてがポジティブだった2年間です。
やはり小さい子どもは・・・小さいといっても中学生くらいまでその範囲に入ると思うのですが、どれだけその子を見ているか、見てくれているかが大切なのだと思います。個別に特別扱いをしてほしいというのではないのですよ、1人1人の特徴や癖をつかんでそれに応じてうまく対応してくれればよいということなのだと思います・・・いや、それならお金かけてそういう私立の小学校とかに通わせなさいよってことですかね。でも地方にはそんな選択しないんですよ、悩ましい問題ですね。
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