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#72-17 ディープ・スロートは誰だ?

1972年6月17日にワシントンD.C.の民主党本部で起きた盗聴侵入事件が始まり。

1974年8月9日にリチャード・ニクソン大統領が辞任するまでの政治スキャンダル。

ワシントン・ポスト記者のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインは、6月17日朝から調査を始め、事件に関する様々な事実を紙面に発表した。ニクソン大統領を追い込む事になりました。

多くのスクープ記事のネタ元は、「ディープ・スロート」と名づけられた内部通報者からのリーク情報でした。

元々『ディープ・スロート』というのは事件が起こった1972年1月に公開され大ヒットしたポルノ映画の題名。当時の『ワシントン・ポスト』編集局次長が名付けました。

ニクソンは任期中に辞任した唯一の大統領となりました。

「ニクソンは弾劾で辞任した」と誤解されることがありますが、実際には弾劾されてはいません。「ニクソンは弾劾を受けた最初の大統領」も間違っていますのでご注意を。まあそれだけ衝撃だったわけです。

この間の1973年1月29日にニクソン大統領は米国民に「ベトナム戦争の終結」を宣言しています。アメリカの直接関与は1973年に終わり、ラオス内戦、カンボジア内戦を経て、1975年4月30日に3カ国とも社会主義化して終結しています。

それ以前

リチャード・ニクソンといえばいまの共和党のイメージをつくった感がります。まずはケネディとのテレビ討論が有名ですね。

民主党の現職リンドン・ジョンソンはベトナム戦争の拡大の批判で出馬せず、ロバート・ケネディ上院議員の暗殺など民主党の混乱したことがニクソンに追い風となりました。

1969年1月20日に大統領に就任

国務長官はヘンリー・キッシンジャー

ベトナムからのアメリカ軍の段階的撤退

1972年の沖縄返還を合意

中国訪問すると発表。(第1次ニクソン・ショック)

ドルと金との交換停止。第2次ニクソン・ショック・ドル・ショック)

日米繊維交渉妥結

中国を訪問。

その後

ニクソン退陣の2カ月後、1974年(昭和49年)10月9日発売の『文藝春秋』11月特別号に、立花隆の「田中角栄研究〜その金脈と人脈」が掲載。こんどは日本の政治スキャンダルへ。手法は違うけど地道な調査と報道によって政権が倒れる事態に。文藝春秋や立花はウォーターゲート事件を意識していたのは間違いない。

ボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン共著、常盤新平訳『大統領の陰謀 ニクソンを追いつめた300日』立風書房 1974年

これの映画化した『大統領の陰謀』(1976年)ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォード。「ディープ・スロート」役はハル・ホルブルック

アカデミー賞で4部門で受賞

1994年4月22日、ニクソンは歳で死去。大統領経験者は通常国葬ですが行われませんでした。

事件発生から33年後の2005年5月31日、当時FBI副長官であったマーク・フェルトが「ディープ・スロート」であったことを公表し、『ワシントン・ポスト』とウッドワードもこれを認めました。

ウッドワード(役はロバート・レッドフォード)とフェルトは事件前に知り合って語り合う仲だったそうです。

フェルトは2008年12月18日、カリフォルニア州サンタローザ市内の自宅で95歳で死去。

「ディープ・スロート」役のハル・ホルブルックはその後「カプリコン・1」「ウォール街」「ザ・ファーム 法律事務所」などに出演、2021年1月23日に95歳で死去。

ニクソンを扱った映画は、

(1)名誉ある撤退〜ニクソンの夜〜 Secret Honor (1984年、監督:ロバート・アルトマン)
(2)ニクソン Nixon (1995年、監督:オリバー・ストーン)
(3)フロスト×ニクソン Frost/Nixon (2009年、監督:ロン・ハワード、原作:ピーター・モーガン)

「ディープ・スロートの正体は15歳の2人の女子学生であった」とするコメディー映画『キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!』(1999年。アンドリュー・フレミング監督、キルスティン・ダンスト、ミシェル・ウィリアムズ主演)がありました。




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