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#204 パンとサーカス(その1)
中嶋悟(元F1レーサー)の「私の履歴書」の最終回(11月30日付)
F1を「サーカス」にたとえて、サーカスには「見る人」「する人」「させる人」がいると書いてありました。
さらにF1のレギュレーションの変更の件でノルディックスキー(荻原健司などの複合)のルール変更を挙げていました。
「させる人」= ヨーロッパの一部高貴な人で、懸命に対応する日本人。
本人は「する人」どまりだったけど、これからの若い人はその意味を考えるべきと。
これは非常に示唆に富む意見だと思う。
スポーツだけでなく環境問題、データ・プライバシー、技術の標準化などヨーロッパの一部高貴な人で決められている面は常にある。
日本人はそこにいない。
多くの日本人は「見る人」。
観戦者。オーディエンス。ファン。
「する人」が活躍して喜ぶ。たとえばスポーツでメダル取るとか、サッカーでシュートするとか。
しかし、ルールそのものを決める場にはいない。
FIFAやIOCの中枢にもいない。バッハ会長を接待して喜んでいる。
電気通信の規格、Linux Foundation、ビットコイン・ファンデーション、国連・・・ほぼいない。
言語の問題もあるけど、そもそも入り込むことすら考えてもいない。
受け身体質。
(続く)
[追記]「私の履歴書」にも書いてあった歴史的瞬間
1989年10月22日鈴鹿サーキット。
F1日本GPの決勝レース47周目
マクラーレン・ホンダのアラン・プロストとアイルトン・セナ
あのシケインでの接触を私は実際に観ています。