#72-13 公害事件が環境問題と呼ばれていない頃
1972年前後は公害事件の判決が相次ぎました。
日本は60年代の高度成長の代償として公害問題が多発しました。
重化学工業化のために産業公害が拡大し、四大公害事件(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)が発生しています。
(1)水俣病は1953年頃に発生(1956年に公式確認)でしたが1969年に裁判となり、1973年3月 患者側全面勝訴となりました。
(2)新潟水俣病は1965年に発生して1967年に提訴、1971年9月 患者側全面勝訴
(3)イタイイタイ病は1910年頃から発生し、1968年に提訴、1971年6月 患者側全面勝訴。
(4)四日市ぜんそくは、1959年頃に発生し、1967年に提訴、1972年7月 患者側全面勝訴となりました。
「典型7公害」というのがあって。大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下及び悪臭の7種類です。
川も海も汚かった。
小学生の怪獣好きの僕にとっては「ゴジラ対ヘドラ」。1971年(昭和46年)7月の東宝映画は「田子の浦港ヘドロ公害」「四日市コンビナートの工場煤煙」を題材にしています。主題歌は「かえせ! 太陽を」
ヘドラは「ヘドロ」から来ています。
駿河湾で、オタマジャクシに似た奇妙な生物が見つかり、沖合で怪獣によるタンカー事故が発生。「汚れた海から生まれた怪獣」ということでヘドラと命名された謎の生物がゴジラと富士山麓で戦う。
大気汚染もひどかった。
第37回(1970年)「NHK全国学校音楽コンクール 小学校の部」課題曲は、「空がこんなに青いとは」作詞は岩谷時子(越路版の「愛の讃歌」の訳詞)、作曲は野田暉行。『みんなのうた』でも放送。NHKのドキュメンタリー番組『現代の映像』で大阪市内・工場地帯の公害問題を扱ったこの回で小学生がこの曲の練習する様子で有名になりました。
僕は、鎌田 典三郎先生の「西六郷少年少女合唱団」によるものが印象に残っています。
もう死語かもしれないけど「光化学スモッグ」
1970年の環七近くの学校で授業中に目に対する刺激・のどの痛みなどの被害が発生。
工場や自動車の排気ガスなど窒素酸化物が、日光の紫外線により光化学反応を起こして変質して発生する。夏の暑い日の昼間に多く、特に日差しが強く風の弱い日に発生して警報がでます。
光化学スモッグ注意報・警報が出ていました。1973年(昭和48年)に300日を超えました。
この他、騒音、振動、地盤沈下、悪臭もひどかった。
アスベストや土壌汚染はだいぶ後になって発覚しています。
今、環境問題と言えばCO2による地球温暖化ばかりだけど、当時の日本はいろいろな種類が頻発していて息も吸えないひどい状況でした。
公害の時代は企業を悪者にすればよかったのですが、現在の環境問題になると個人の行動も問われることになりました。
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