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「グループ」とは人の集まり、「チーム」とは目的を持った人の集まり

「チーム」には目的が必要です。目的がなければ単なる人の集まり、つまり「グループ」です。共通の目的の元に結束するのが「チーム」、各人がバラバラの状態がグループです。

小学校で新しい学年になるとクラス分けが行われます。新しいクラスは、まだ人が集まっただけの状態、つまり「グループ」です。

学校生活の中で、子供は「クラスをよくするため」に色々な役割を分担していきます。例えば、学級委員、給食当番、生き物係、図書係‥‥などです。

また、放課後にはみんなで掃除をします。運動会ではクラスが結束して、他のクラスに負けないように競い合います。

こうした取り組みを通じて子供たちはクラスの結束を高めていくのです。つまり、単なる「グループ」が「チーム」になるわけです。私たちは、子供の頃から学校生活などを通じてチームとは何かを学んできたのです。

小学校のクラスの場合、共同体やコミュニティという見方もあると思います。しかし、共同体やコミュニティは緩やかな目的でつながりあった「チーム」と見ることができます。

ところが、大人の社会ではうまくいっていないチームがたくさんあります。社会のいたるところでチームが必要とされているのに、その割にはうまくいっていないのです。それはなぜでしょうか。

さまざまな理由があるでしょうが、最も大きな原因は「チームの目的は何か?」が共有されていないことにあります。チームとは「共通の目的」の元に人々が集っているものですから、目的が曖昧な時点でチームとしては機能しないのです。

例えば、メンバーの力量が足りなくてチームの目的を達成できないこともあるかもしれません。しかし、目的が共有されているのであれば、「どうすれば力量をあげられるだろうか?」といったように課題を明確にすることができます。

ところが、目的が共有されていなければ、課題が何かを決めることすらできません。何をするかも決められないのです。つまり、目的こそが単なる人の集まりをチームに変身させるのです。

目的を共有するとは、その目的をメンバー全員が知っているということではありません。その目的の意味を理解し、「その通りだ」と同意していることが必要です。

人は理解できない目的、納得できない目的に向かって行動することはできません。チーム作りの最大のポイントは目的と共にその意味を伝えることなのです。

大航海に乗り出すためには、船長は海の向こうの世界のすばらしさを伝える必要があるといわれます。チームを機能させるには、チームの目的と共にその意味を伝える必要があるのです。

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