見出し画像

50代に出会った趣味で人生をかけてやり遂げたいことが見つかった!

 岐阜県瑞浪市出身、現在85歳の小栗清吾さん、50代に出会った古川柳(江戸川柳)に魅せられて、仕事一直線から古川柳一直線へ。古本に囲まれ五七五と睨めっこ、江戸時代に思いを馳せ、句の意味を解きほぐすことにすべてのエネルギーを注ぎ込む小栗さんが人生をかけてやり遂げたいこととは?!


古川柳にのめり込んだきっかけ

 都市銀行を退職し、子会社に転籍したのが50代前半です。銀行時代に比べて時間に余裕ができたちょうどその頃に、古川柳と本格的に取り組むことになる出来事が起こりました。
古川柳は以前から何となく好きだったのですが、たまたまその頃手に入れた渡辺信一郎さんという先生の古川柳の本が面白く、出版社にほかの本も紹介してほしいとハガキを出したところ、なんと著者の渡辺さん本人から直接連絡がきました。「古川柳に興味があるなら古川柳研究会が月1回あるから来ないか」と。
お誘いのまま参加して、古川柳の句を解釈することの快感を知ったことが、その後長くなる古川柳とのお付き合いの始まりでした。ひょんな「出来事」からすべてが始まり、後半生をかけて「取り組むもの」を手にする偶然の重なりを感じています。

古川柳研究会

古川柳の楽しみ方

 川柳と言えば「サラリーマン川柳」などを思い浮かべる人も多いでしょうが、古川柳(江戸川柳)とは江戸時代に作られた川柳のことです。それを読み、意味を解釈し鑑賞して楽しむわけです。よく「古川柳を一句作ってください」などと言われることがありますが、句を作るわけではありません。
ただこの古川柳、「サラリーマン川柳」とは違って、簡単にニヤリと楽しむことができません。結構難しいのです。
江戸時代の言葉というだけでも難しいのですが、それに加えて古川柳は世の中のあらゆることが題材になっていますから、それを解釈するには作者と同等の知識や教養が必要です。江戸時代の生活風習や年中行事、神話、伝説、俗説の類い、日本や中国の歴史、古典、謡曲、浄瑠璃、和歌、俳諧に至るまで、古今東西、森羅万象の知識が無いと解釈ができません。さらに川柳独特の「約束事」があります。「姑」といえば意地悪で嫁いびり、「息子」といえば道楽息子、「浅黄裏」といえば吉原でモテない勤番侍、などというお約束を分かっておく必要がある。また「文句取り」とか「擬人名」などの特殊な技巧もあります。そしてそもそも江戸時代の人は何を面白がっていたかを理解して、同様に面白がる。そういう読み手の「センス」も必要なところです。
そういったあらゆる知識とセンスを総動員しないと句の意味を解きほぐせないからこそ、謎解きのような過程が面白く、やみつきになってしまいます。朝から晩まで1句と睨めっこすることもあり、あぁきっとそうに違いない、と分かったときの「満ち足りた心」にかなうものは、そうたくさんはありません。

一句ご紹介『五番目は同じ作でも江戸産れ』

 直訳すると同じ人の作品の五番目は江戸生まれだ、ということですが、いったい何のことでしょう。実はこれは「六阿弥陀」の句です。「六阿弥陀」とは、行基というお坊さんが一本の木から作ったと伝えられる六体の阿弥陀像のこと。それが一体ずつ江戸近在の六ヶ所のお寺に分けて祀ってあり、毎年春と秋のお彼岸にこの阿弥陀様を拝んで回るのが「六阿弥陀詣」といって有名な行事でした。お寺の所在地は、一番・西福寺(北区豊島)、二番・延命寺(足立区江北)、三番・無量寺(北区西ヶ原)、四番・与楽寺(北区田端)、五番・常楽院(台東区上野)、六番・常光寺(江東区亀戸)です。句でいう「五番目」とは上野にある五番・常楽院のこと。他の五つのお寺は、現在でこそ東京23区内ですが当時は江戸の郊外ですから、句の意味は六阿弥陀は同じ行基の作だけど五番目の常楽院の阿弥陀様だけは江戸生まれ、江戸っ子だね、ということです。そう面白い句ではありませんが、「六阿弥陀」の知識が無いと絶対に解釈できません。

常楽院別院(江戸六阿弥陀第五番)

銀行での成功を第二の人生では使わない

 岐阜県瑞浪市という山奥の生まれの三男坊。地元の高校から名古屋大学法学部に進学して、都市銀行に就職しました。最近の学生は、就職に当たって、自分に向いている仕事は何か、何を目的に会社を選ぶべきかなどと真剣に考えて就職活動をするようですが、その辺はいい加減なもので、大学の一年先輩のリクルートに易々と乗って、何も考えずに銀行に入りました。でも振り返ってみると結果オーライ。本部と支店を半々程度勤務しましたが、やりがいのある誇りの持てる仕事だったと思っています。実力以上の仕事・地位を与えられたような気がして、責任を全うするのに一生懸命でした。割と仕事人間でしたね。
 そんな銀行員生活のなかで、忘れられない出来事がありました。いつの頃でしたか、支店へ訪ねてきた銀行OBの応対をしたことがあります。その方が昔の自慢話ばかりされるのを聞いているうちに、少し寂しい気持ちになりました。過去の栄光だけが老後の生き甲斐になるのはいやだ、銀行時代の肩書だけがプライドを保つ源になる生活はいやだ、と強く思ったことです。このことが、銀行とはまったく関係の無い古川柳研究の世界で認められたいという意欲の基になったような気がします。

古川柳研究会の世話役

 読んだ本の著者に勧められて行った『古川柳研究会』、いつも隅っこの方に目立たないよう座っていたのですが、隣の席の世話役の人が入院されたことをきっかけに世話役を引き受けることになりました。それからは月1回開催のための会場の確保、会員への案内、会費集めなどの庶務仕事をこなし、やがて会での議論の結果をまとめる会報作りも引き受けることになりました。いつの間にか少しずつ、会の責任者のような役割を担うようになり、今日に至ります。
 古川柳研究会では、例会を月に1回開きます。当番の会員が古川柳30句について解釈を発表し、その解釈について出席の会員が議論します。関西にも同様の会があり、毎年回り持ちで交流会『全国古川柳研究者大会』を開催していました。例会は、コロナ禍で3年お休みをしたあと再開してみると、出席者がたった7人。これではどうしようもない。昭和14年から続いてきた古川柳研究会もついに幕を閉じることになってしまいました。

四半世紀以上続いた会報

死ぬまでにやらないといけない

 古川柳研究会がなくなった今、古川柳研究を伝えていくことが非常に難しいと感じています。圧倒的多数の句が解釈されないまま残っており、解釈ができた句についても研究者の頭の中にあるだけでは、研究者が死んでしまえばお終いです。何かの形でアウトプットしておかなければなりません。幸いなことに、これまで平凡社新書から『はじめての江戸川柳』『江戸川柳おもしろ偉人伝100』『男と女の江戸川柳』『吉原の江戸川柳はおもしろい』の4冊をアウトプットすることができました。それぞれ「基礎知識」「詠史句」「破礼句」「吉原句」を解説した本です。しかしこれだけではまったく足りません。そこで『古川柳辞典』を作りたいと思い立ちました。古川柳に出てくる言葉を網羅し、その言葉の使われている句を短注付きで掲載する。古川柳を鑑賞するうえで分からない句があったら、手掛かりになりそうな言葉で辞典を引くと、言葉の説明とその句が短注付きで載っている。そんな辞典を目指しています。
 もともと辞典の骨組みを作ってくれた人がおり、これをブラッシュアップし共著として出版すべく作業中です。有名出版社の内諾を得ていますので、あとは頑張るだけ。膨大な作業ながら毎日必死に書いています。遅々として進まない日もありますが、とにかく一日中座ってパソコンと睨めっこ。おかげで下半身は弱り目は疲れ、非常に健康に悪いことをしていますので、この点は、健康な第二の人生を過ごそうとしている方々のご参考にはなりません。

既刊本

運を天に任せる健康状況

 現在、肺と心臓に治療法の無い持病を抱え、半年に一度検査を受けています。今のところ悪化のスピードは緩やかで、ひとまず元気でいるのですが、いつ急変があるかもしれないと言われています。なんとか書き上げることを願いつつ古川柳辞典に向き合う日々。あとはもう神頼みです。
 実をいうと、新書シリーズの続編で「古川柳のテクニックに注目した本」や「名句だけ選び抜いた本」などを出したかったのですが、もう時間がありません。いまは運を天に任せて古川柳辞典にすべてを注ぎ込むだけ。なんとか先輩方から引き継いできた古川柳研究を絶やさないよう、古川柳辞典を完成させることが今の大いなる願いです。

※古川柳(江戸川柳)とは・・
  詳細については「はじめての江戸川柳」平凡社新書 をご参照下さい。

#生きがいの持続化 #イキイキ #ワクワク


いいなと思ったら応援しよう!