百姓一揆の話し足りない「泣きたい夜には船が出る」
泣きたいとき〜。泣きたいとき〜。
私はフィッシュマンズの「空中キャンプ」を聴く。
感情をコントロールするために涙を流すのだ、とエシディシも言っている。
思いっきり泣こう。
かといってこのアルバムを「泣ける」映画のような位置づけで話しているわけではなく、「寄り添ってくれる」アルバムだと言いたいのだ。泣くなら受動で泣くな。主動で泣け。
言葉にならないから、歌ったり、踊ったりするのだろう。怒ったり、泣いたりするのも脳内のオーバーヒート、またはクールダウンでしかないと言ってしまえばそれまでだが、生理反応を情感を持って捉えることも風流だ。詩人になろう。
泣いてるときは、いつも孤独だ。
自分のことだけしか考えられなくなる。すべてが見えない。
フィッシュマンズはそんな私たちの心をそっとノックしてくれる。突然「ガチャ」などと入ったりしないのだ。5分かけてゆっくりと心の防護服を脱ぐ手伝いをしてくれる。
「何を言えばいいのかわからない 僕だったよ」
いや、いてくれる、肩を抱いてくれるそれだけで十分なのよ…。
悲しくて、虚しくて言葉が出てこない。
ただ、そばにいてくれるだけでいいのよ…。
対処法なんて聞いてもしょうがねえのよ…。
一緒に泣いてくれる、そんな嬉しいことないでしょうよ…。
ダブの質感がウェットな感じで、フルートの包容感がひしひしと温泉のように歩み寄ってくるという…………泣いちゃう
3.「SLOW DAYS」
ここらでもうひと泣き。
ひたすら文句をたれる。
なんで僕だけが?なんで僕だけが?なんで僕だけが?
一人じゃなかったと気づくのはあとからでも遅すぎることなんてない…。
「ア」の母音にフィッシュマンズはすべてを詰めてくる。
言葉でエールを送るよりよっぽど、この「アァ」という詠嘆だけで救われる気がしている。
4.「SUNNY BLUE」
朝が本当に辛くなる。
デカい太陽に削り取られそうになって、「マジで酸素薄いんじゃねえか」と錯覚さえする。こういうとき、ひたすらに悲しくなるしかない。
「早く夜にならねえかな」無口な顔で本当にそう思っていた(この頃の影響で「晴」という字を名前に頂いているのに、一番嫌いな天気は「晴」だ。因みに一番好きな天気は曇り)。
憂鬱になんかならない? できるわけがなかった。
前曲で盛り上げたところをわざと落としている。
ここで大きく深呼吸でもしながら聴くのがいい。
運の流れは浮き沈みが必ずある。
今日は少しそれが激しかっただけだ。
明日はきっと大丈夫。自分に言い聞かせる。
根拠はないけど、そんな気にさせてくれる。
今まで閉じたものを、開ける作業を担う曲だと思う。
ひときわ凛としたピアノが背中を押してくれる。
ノイズが僕を抱きしめる。
「この世の不幸はすべての不安」「この世の不幸は感情操作とウソ笑いで」「別になんでもいいのさ」
なんだか小さなことでクヨクヨしてたかしら?
大事なものだけ心に留めておければいい。
キャパオーバーなことを考えているとずっと疲弊したまま、また悩みこんでしまうのだ。
好きなもののことを考えよう。それがいい。そんなかんじで。
フィッシュマンズは諦めの美学というか、エセ勤勉なところを毒で染めていくような心持ちがある。
7.「すばらしくて NICE CHOICE」
だんだん回復してくる。
「そっと運命に出会い 運命に笑う」このフレーズ、かなり繰り返されるが、ほんとにそうなる。
瞬間瞬間がつながっていく。瞬間にいきている。
この曲を聴く頃になれば、涙はもう流れない。
新しい人になっているからだ。
スッキリ。
みっともない僕にも呼んでんでくれる。
かっこ悪い人も呼んでくれる。
なんと慈悲深い…
この曲を聴き終わる前にもうケロッと、スッキリするはず。
泣きわめいてみませんか、夢中になって、別になんでもいいんです、船に乗って、泣きわめいてみませんか。