読書記録④「わからないことが気持ち良い」
本日の読書記録です。
今日からタイトルにサブタイトルをつけていこうと思います。本日は「わからないことが気持ち良い」です。いや、ドMとかではなく、壁に当たっているという感覚は、純粋に気持ち良くないですか?w
日本語としては字面は追えますが、はっきり言って何が言いたいのか意味不明です。
こんな状態のまま、とにかく日本語を読む読む読む。わからないからと言ってその場でその本を閉じたら試合終了、諦めたら試合終了ですよ、そんな声が聞こえてきました。
1 細見和之『フランクフルト学派-ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ-』PP.91-130
本日はやっと本題に入りました。「第4章『啓蒙の弁証法』の世界」。
一読した感想は「??」ですが、細見先生がいうにはこの啓蒙の弁証法を読んだら、何か新しい社会構想が生まれるのかといえばそういうわけではないが、少なくとも社会構想をするための必要な思考と感性を示唆してくれているとのことです。
『啓蒙の弁証法』は、ホルクハイマーとアドルのは、ナチズムが跋扈するドイツを後にしたカリフォルニアでの共同作業による大作です。彼らに通底している問題意識は、
「なぜ人類は真に人間的な状態に歩みゆく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでいくのか」
です。
それは、ドイツのナチズム、スターリンの大量粛清、アメリカによる原子爆弾投下(この出来事は厳密には本書発刊後です。)など20世紀象徴的な出来事が、彼らにのしかかった重い問いかけになっていったのです。
少し脱線すれば、実存主義が西洋思想界の中心であった戦前戦後においては、ある種の進歩史観があり、我なす事によって我ありみたいな世界だったと記憶しています。
西洋文明は「優れていて」、それ以外の文明は「遅れている」という考え方です。この考え方は、その後レヴィ・ストロースによって喝破され、構造主義の時代がやってくるのですが、この『啓蒙の弁証法』の時代はまだその進歩史観的な考えが残っていたのではないかと思います。
うむ、とにかく読み進めるしかないのか。
とにかく細見先生の入門書は終わったので、次は原著にチャレンジしていきます。
2 マーク・J・エプスタイン『社会的インパクトとは何か』PP.162-194
この本を読むと、組織において、自分たちがやっていることの「アウトカム」をみんなで理解することによって、より自分たちの事業に精通し、方向性が定まってくる気がしてきます。
自分たちは、何のため、何を、どのように提供するのかは企画段階でも多くの人にプレゼンします。ただ、それがどのような効果を、どんな人に与えたのかを検証することはなかなかしません。
でも、むしろモニタリングであったり、事後評価を行うことが非常に重要であることがよくわかります。
3 まとめ
今日もしっかりと本を読めました。
今日から仕事始めだったひとも多そうですが、まだアクセルは踏み切れないですよね。徐々に慣らしていきたいところです。
明日は昼に焼肉定食を食べることが目標で、楽しみです。
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