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そこにいたんだね、の肯定
たとえば白紙があるとする。
あなたの好きなように、思うように絵を描いていいよ、の問いかけがすごく苦手だった。
絵が全然上手くない。絵画を見るのが好きなのは、憧れからきてるものだ。そして分からないから、だんだん手が震える。一つ線を描いても本当にこれでいいのかすぐ聞きたくなるし、でもわかんないからそのままやるしかない。また震える。止める。だからわかんないや、って言う。
わかんないから諦める。
決められた道ばかり歩いてきたことの方が多かった。もうこんなことを書くのも最後にするし、まあ自分の中で区切りをつけているからこそ、ここに書けてるんだけども。子供の頃から正直何を言っても、どれを言っても頭ごなしに否定されてばかりだった。あれになりたい、だめだよ、あれがしたい、だめだよ、お前はこれになるの、これをやるの、その連続だった。完全に心を無視され続けたことばかりで、普通に何度か手放している。気持ちを持つことを。
今考えたらそんなん気にせずにさ~!もっとのびのびとしてもいいんだよ~!って、言えるよ。言えるけど、完全にその後遺症で、好きなように、が、ずっと苦手だ。
何がやりたいの?って聞かれたら、正直わからない。分かるふりをしてる。
自分がいちばん、わからない。
ただ、思うように書いていいよ、はちょっとだけできた。閉めていた蛇口を捻るように少し頭と心を緩めれば言葉はたちまち流れ出してくれる。
中学生のときかなり小説家になりたかった時期があった。理由はそこからだった。あの頃が内向的すぎたせいもあったし今はなりたいと思わないけど、いつか思い出すことがくるんだろうなー、そのときは何かできたらいいね。
感情表現は苦手だし、今でも歳の割には落ち着いてるね、って言われるのは物わかりのいい子にならざるを得なかった場面ばかりだったからで、知らず知らずのうちに気持ちを抑圧してるからも、ある。全然言いたいことだって言えないまま終わることが多い。
(最近はちょっと頑張ってる!でもできないこと、たくさんある。ムズカシー)
肝心な時に言葉が出てこない、いつも。だけど文章になら、文字にならいくらでも素直に乗せられる。誰も見てなくてもわたしなりに残すことに意味があるから、誰のためにもならないから好き。文字で伝えるの、好き。だからあたしの文字の言葉はだいたい本当のことばかりだ…いや、そもそもあんまり嘘つけないから実際も結構本音で話してる。わたしの言葉はだいたい本当。
友だちのストーリーでは高校の頃苦手だった子が笑っていた。みんな大学生している。
素直にすごいなあ、と思っている。
単純に大学に行ってみたかった気持ちはある。なんか実家とかお金とか、将来とか、あまり気にせず無責任に遊んでみたかった。でもさー!大学3年になったら就活はじまったり卒論とかもあるんでしょ?絶対大変だと思うんだよね!尊敬する。
全部理想論で本当に同年代と関わるのが苦手だから今の方があってるとも感じるけど。わたし大学生だったらさあ、どこにいて、なんの勉強してんのかなあ、恋人もいた?どうなんだろー!その答えはぜんぶあのとき選ばなかった選択肢Bにある。
自分が死んだら、あのとき選ばなかった分岐ルートを見てみたい。それでいま生きてきた方がたのしいじゃんー!て俯瞰的に思えたら、それこそが正解じゃない?って。
学生時代にしんどい思いをしていた人が口を揃えて、大人になってから楽しいと言っていた。
学生の頃はそんなの今悩んでる学生への気休めの言葉だろ、って思ってたけど卒業して1年半経った今になって実感している。本当に端くれだけど社会の1人の中に居るからかもしれない。あの小さな教室の中で世界がある学生時代より幾分生きやすい。
ありがたいことにいまいる環境は大人たちの中でも対等な人間として扱ってもらっているため、人と比べられることもない、勝手に競わされることもない。
わたしは一人っ子だから他人の子と比べられたりしても(そら他所の家庭の子だし持ってるものも全部違うんだから差くらいあるやろ)精神で生きていたので負けず嫌いの心がひとつも育まれなかった。よってみんなが各々幸せに生きれたらそれでいいよと本気で思っている。勝ち負けとかどうでもいいです。あなたがあなたなりの幸せを掴むことが大事なんでね、人生は。
まあ良くも悪くも周り見ないので自分で自分のことは追い込みますが。
人生なんて思ってる以上にだいたい運とタイミングで出来ているしそもそもいつ死ぬかわかんない。全然病気とかなるし、その時々の自分のやりたいことやってたまにしんどいこともやったらバランス取れるしそれでいいんですよ。と思っている。
そう。わたし、わからないから、わからないなりに好きを手繰り寄せた。あとは流れとタイミングごとに頑張ってたらこうなった。好きに触れられたし、憧れに手を伸ばせることができたし、逆にそれで痛い目も見たし別の目標もできた。
たくさんの人に出会ったし、別れたし、ぜーんぜんいっぱい傷付いたし!よい思いだってした。思ってもみなかった方向に広がっている、人生が。ただこれが合ってるかわかんないから、自分の力で合ってる、にすればいいんだ。それがすごく楽しい。ずっとわくわくしてみたいなって思ってる。わたしがわたし自身にそう思えるようになったことが、正直ものすごく、うれしい。何度もここで言ってるが、高校の時死のうとしてたから。あの頃のわたしが見たらどう思うかな、生きててよかったって思えるかなーって気持ちを忘れないで過去も葬らず大切に抱き締めて歩いていきです。
20歳。もうそこまできてるよ。やばー!はるか遠くに感じてたし、全然なれないと思ってたのに。
でもそんな感じ。あたしの10代最後で得た自分論。
たくさんの人に出会いたいなー、そしてみんなから好かれるのは無理だからあわよくばだいたいの人がわたしのこと気に入ってくれたら最高だなー!って思ってますよ。自分なりの愛想とがんばりを振り撒いて!
行け 行け その明日が君を苦しめようと
行け 行け 痛み知る優しい人でありなさい
大好きな歌詞。わたしの希望。どんなに色んなことに揉まれて削がれても、優しい人であり続けたい。