ライフオブブルー

1/
 教室の窓から綺麗な夕日と共に吹き込む涼やかな風がカーテンを揺らす。

 「……はぁー」
 俺――風島 清景(かざしま きよかげ)は一段落ついた目の前のプリントや教科書の類から、窓の外の夕日に染まる街に視線を移し、深呼吸の変わりに長めの溜め息を吐いた。
 「む、もう終わったのか?」
 頬杖をつきながら窓の外を眺める俺の対面から声が掛かる。俺は視線をその声の主――対面にいる少女へと戻した。
 「ん、あぁ、とりあえず一段落は着いた」
 「そうか、私も今終わったよ」
 対面にいる少女が広げていたノートやプリントを片付け始めた。

 目の前の彼女について少し説明しよう。
 名前は琴占 言海(ことうら ことみ)。背中の半ばまで伸ばした黒髪と白い肌、そしてキリッとした強い意志を宿した双眸。クールで凜とした雰囲気を纏う彼女は紛れも無く美人で、そして、俺の幼なじみである。
 この説明だけを聴くと一見完璧に見える彼女だが、その実、重大な欠点をいくつか抱えている。
 その一つが――

 「む、片付けたはいいがもう少し時間があるな」
 「……そうだな、暇潰しに世間話でもするか」
 「なんの話をしようか? 能力者の戦闘中の思考パターンの特質性の話でもしようか?」

 ――厨二病なのだ。
 割とどうしようも無いレベルの。
 本人曰わく不治の病らしい。
 俺がまたか、という顔していたのか言海はすぐにフッと笑って「冗談だ」と言った。

 「……で、お前は明日いけそうか?」
 いつも通りの厨二なのでツッコミもせずに世間話をスタートさせる。
 「む、明日か」
 言海が少し思案する。
 現在、我が校はテスト週間であり、明日がその最終日である。
 科目は数学と古典。
 だから、先ほどまで俺達は教科書やら参考書やらノートやらプリントやらを広げて、勉強していた。
 そんな、勉強の成果を訊いてみた。

 「……数学は8割ぐらい、といったところか」
 言海は自信がないらしく「おそらく」と付け足した。
 「ちなみに、古典は?」
 「あんなモノは勉強しなくても大丈夫だ」
 今度はさらりと言い切った。
 言海は厨二病だが、頭がいい。
 特に国語系の科目に関しては毎回、上位に居座り。
 全体の成績も上位をキープしている。
 かくいう俺も平均よりやや上ぐらいは取れるので、特別頭が悪いわけではないはずだ。

 「そういうキヨの方は明日、大丈夫なのか?」
 言海が意地の悪そうな笑みを浮かべて訊ねて来る。
 俺の苦手教科が数学であると知っているのだ。
 ちなみに、キヨというのは俺のあだ名だ。
 清景の清から来ているのは言うまでもない。
 幼稚園の頃からこのあだ名である。
 とはいえ、俺をあだ名で呼ぶのは幼馴染の二人しかいないのだが。

 「あー、……古典は8割ってとこだ」
 「数学は?」
 逃げようとしたが、そんな甘いヤツではなく、意地悪く笑いながらあっさりと核心を衝かれる。
 「……5~6割」
 実はそれすらも希望的観測で、実際は赤点の可能性も無くは無かったりする。
 「はっはっは、もっと勉強しておかなくていいのか?」
 「……いいんだよ別に、どうせ今日の日本史と昨日の政経は9割は取れた」
 根が文系なのだ。
 先ほど、平均よりやや上と言ったのはあくまで、総合点の話で、理解出来ない数学の点数を、得意な社会系科目で補う。
 それで平均やや上。
 もっとも目の前の彼女も文系な訳だが。

 「だいたい、今日アイツが居れば5割は固かった」
 アイツ、というのは俺をあだ名で呼ぶもう一人の幼なじみである。
 数学が得意で頼りになる男。

 「仕方ないだろう? 私達が声をかける前に友達に連行されたのだから」
 「……友達ねぇ」
 ハァと2人揃って溜め息を吐いた。
 琴占 言海の欠陥のもう一つがこれだ。
 もっとも、このことに関しては俺も全く同じ欠陥を持っていることになる。
 端的に言うと俺達は2人揃って、学校と言う社会に置いて最下層と言っても過言ではない人間――いわゆる「ぼっち」と呼ばれる人種なのだ。

 出る杭は打たれる……。
 いや、言海の場合は「抜かれる」と言った方が正しいだろうか。
 高校に入学したばかりのときはまだ言海に積極的に声を掛け、関わる人間――というよりグループがいくつかあった。
 言海も別にそれを拒絶するような人間ではなく、むしろ、ある程度は積極的な関わりをしていた。
 アイツは厨二病ではあるが基本的に自覚のあるタイプなので、相応しく無い場面ではそういう発言はしない。
 なので、最初はうまくいっていたが入学から1ヶ月程経った辺りから段々とそういった人間が減っていった。
 理由はいくつかあるのだろう
 言海は基本的に俺達とつるむことが多い為、そういう関係だと勝手に思い込んだ連中もいるだろうし、いくら普段は厨二病を出さないとはいっても素で出てしまう時もあるので、それが原因で合わないと感じた連中もいるだろう。
 しかし、一番の原因はおそらく別。
 一番の原因は言海が完璧に近かったことなんだと思う。
 整い過ぎる、といっても過言ではない容姿、それだけでも充分イジメなんかの対象になる。
 言海はその上で頭もキレた。
 その為、大々的なイジメのように出る杭を打つような方法ではなく、ゆっくりとした隔離による出る杭を抜くような方法をとられたのだ。
 そして現在、高校二年の半ば。
 琴占 言海はほぼ完全にぼっちとなってしまった。

 一方の俺はというと、そんな大層な理由はない。
 ただ、もとからクラスの奴らに馴染めなかった俺は言海ともう一人の幼なじみとばかりつるんでいた。
 それが理由で気付けば出遅れていた。
 そしてそのまま大した行動も起こさなかった為、今のこの状況になってしまったのだ。

 「しかし、アイツは相変わらず凄かったな」
 思い出して、笑みを浮かべてみた。
 そんな『ぼっち』な俺達と違い、もう一人の幼なじみは沢山の友人に囲まれている。
 それを別段羨ましいとも思わないが、単純に凄いと思う。
 そんなアイツを、言海は
 「仕方ないさ。 困っている人間をほうって置けない主人公体質だからな」
 と揶揄する。

 「と、もうこんな時間か」
 教室の壁に掛けてある時計を見ると、時刻は五時半を指していた。
 テスト期間中、学校が開いているのは6時までなので、そろそろ教師の見回り始める時間だろう。
 「帰るか」
 「うむ、帰るとしよう」
 言海も同意し、俺達は教室を出た。

2/
 自転車置き場の自転車は既に疎らになっていて、俺の自転車を見つけるのは容易だった。
 鍵を解除して愛車に跨り、言海の待っている生徒玄関まで走らせる。
 言海の前で一度止まり、荷物を受け取ってカゴに突っ込んだ。
 「さて、では今日も頼もうか」
 わざとらしく尊大な態度の言海は、笑いながら自転車の荷台に跨った。
 「行くぞ?」
 「うむ」
 俺が尋ねると言海は満足そうに返事をした。
 背中に言海の気配を確かに感じ、ゆっくりとペダルを踏み出す。

 一応、ある程度の都会を名乗るこの街だが、実際は都会とは決して言い難い。
 学校からの帰り道も道さえ選べば、まず警察には出くわさない。
 だから、安心して2人乗りが出来る。

 ゆっくりと緩やかな坂を登り、河川敷へと出る。
 もう20分もすれば沈むであろう夕日が俺達二人を照らしていた。

 「……高校卒業したらどうするんだ?」
 ペダルを漕いだまま、後ろの言海へ話を振った。
 特に深い理由のある問いかけではなかった。

 「む? 私か? 私はこの街を離れるつもりだぞ?」
 「へー」
 「なりたいモノがあるからな。 そのためにも、とりあえず地元から離れようと思っているよ」
 「何になりたいんだ?」
 「小説家だ」

 言海が自慢げに答えた。

 「やはり、絵画であれ、音楽であれ、文章であれ、何か自分の伝えたい事を伝える職業というのはカッコいいと思う。幸いなことに文章と想像力にはそれなりの自信があるからな」
 自慢げに話す言海の話を聞いて俺は笑った。

 「だからお前は厨二病なんだ」
 「あぁ、仕方ないだろう? こればかりは不治の病なんだ」
 言海が俺の背中に体を預けてくる。
 言海の体から振動が伝わってくる。
 顔は見えないが言海もきっと笑っていた。


3/
 テストが終わった。
 数学のテストは予想していたよりも簡単だった為、なんとか6割以上は狙えそうだ。
 HRが終わった教室はなんだかいつもより騒がしくなっていた。
 テストが終わった開放感を殆どの生徒が感じているのだろう。
 そんな浮かれ気味な教室の中でも、俺は他の生徒に話し掛けられる事も無く、さっさと帰り支度をしていた。
 勘違いして欲しく無いのは、俺も開放感を感じている事。
 だからこそ、嫌な数学の点数は明日以降のテストの返却まで忘れる事にしてさっさと帰りたいのだ。
 帰りに寄り道をして遊んでもいいな、と珍しく考え、教室を見回し、幼なじみ2人の姿を探す。
 が、姿が見えなかった。

 「…………」

 アイツの姿が見え無いのはよくある事だが、言海の姿が見えないのは滅多に無い。
 アイツはおそらく、テストの打ち上げにでも連行されたのだろう。
よく見れば、幼なじみ以外にもクラスから5,6人の男女が既に居なくなっていたので、おそらくはあっているだろう。

 言海に関しても、滅多に無いとは言ったが、今までにも何度かこういうことがあった。
 言海は優秀なので、学級代表も兼ねている、いわゆる学級委員長だ。
大半はその仕事だった。
 おそらく、今回もそれであろう。
 加えて、言海が俺に何も言わずに姿が見えない時はかなり長い仕事の場合が多い。
 言海も大変だな、と結論づけ、帰り支度の終わったカバンを持ち上げる。

 「……はぁあ」
 欠伸を一つして、教室を出る。
 幼なじみのどちらの姿も見えない以上、俺はさっさと予定を変更し、帰って昼寝でもしよう。
 そういえば、この前買った小説も読んでいないし、あのバンドの新譜もちゃんと聴いていなかった。
 家でのんびりするには丁度良かったかもしれない

4/

 「……あぁー……」
 携帯の着信音に起こされ、寝ぼけ眼で周囲を眺めるが暗くてよくわからなかった。
 あのあと、家に帰って寝ようと思ったのだが、つい本を読んでしまい、気付けば晩飯の時間になっていた。
 晩飯を食べた後、再び読み残しを読もうと思ったのだが、そこで寝てしまったのだ。
 その証拠である手に持ったままの本とスピーカーから流れ続ける音楽で俺は自分の行動を思い出した。
 時間を確認しようと、未だに着信音を鳴らす携帯を覗き込んだ所で着信がメールではなく、電話である事に気付いた。
 発信者は言海じゃない方の幼なじみだった。
 何か、緊急の用事だろうか。
 携帯のディスプレイで時刻を確認すると23時を回っていた。
 スピーカーから流れている音楽を止め、通話を繋いだ。

 「もしもし……」
 『おぉ、キヨか?』

 幼なじみの声にはいつもの明るさがない。
 「どうした? なんかあったのか?」
 『んー……、まぁ、ちょっと色々とな……』
 なんだか歯切れが悪い。
 若干の沈黙が流れる。
 状況的に向こうが話してくれなければどうしようも無いのだが……。
 それとも俺が声をかけるべきなのだろうか。
 思案し始めた所で携帯の向こうから声が届く。

 『……あぁー、キヨ。 今からちょっと暇あるか?』
 「? まぁ、暇といえば暇だが。もう11時だし、明日も学校だぞ?」
 『まぁ、そうなんだけどよ……』
 すっぱりと諦め無い所を見ると、どうやら特別な用事らしい。

 「……で、なんなんだ? 付き合ってやるよ」
 『……サンキュー、キヨ。本当に悪いけど、電話じゃなくて直接会って話したい。高丘公園に来てくれないか?』
 「……懐かしいな。わかった、今から行く」
 『おぉ、悪い』

 通話が切れる。
 腰かけていたベットから立ち上がり伸びをする。
 机からイヤフォンと財布を拾い上げてポケットに押し込み、部屋を出る。

 適当にコンビニにでも行くことにして家を出た。

5/
 俺は自転車を軽快に走らせて、高丘公園へと向かった。
 高丘公園は家から自転車で5分程の所にある、文字通り少し高い丘の上に作られた公園だ。
 小学生の頃はいつも3人で遊びに行っていた俺達にとって思い出の場所でもある。
 懐かしさに思わず少し笑みを浮かべる。
 自転車は登り坂に差し掛かった。
 俺は重くなったペダルを踏みこみ、ゆっくりと坂を登っていく。
 この坂を登りきれば公園だ。

 坂を登りきり、たどり着いた公園の適当な場所に自転車を止めた。
 それなりの大きさの公園なので、手っ取り早く携帯で呼び出してもいいのだが、なんだかそんな気分ではないので止めて、俺は歩いて幼なじみを探すことにした。
 入り口の近くにある池のそばを通る。
 水飲み場と公衆トイレの横も通り過ぎる。
 更に公園の奥、砂場やすべり台などの遊び場があるエリアにたどり着いた。

 幼なじみはそこにいた。
 独り、ブランコを元気無く揺らしていた。

 「……よう、お前はリストラされたサラリーマンかよ」
 なんとなく気紛れに冗談を言いながら、後ろから声を掛けると、すぐに振り返った。

 「あぁー……心境的には多少近いのかなぁ」
 振り返った幼なじみ――宇野 耕輔(うの こうすけ)は相変わらずの整った顔立ちを苦笑させた。
 いつもとは違う力の入っていない笑顔だった。
 少しだが、目も赤くなっていた。
 泣いていた、のだろう。
 理由はもちろん分からなかった。
 しかし、その様子を見て電話口の声に納得がいった。

 「…………」
 「ははは……まぁ、とりあえず、座ってくれよ」
 掛ける言葉が見つからず、黙ったまま立っていると耕輔は隣のブランコを指差した。
 促されるまま隣のブランコに座ると耕輔が口を開いた。
 「……懐かしいよな」
 「何がだ?」
 「この公園自体が」
 「……あぁ、懐かしいな」

 今座っているブランコも昔はもう少し大きく感じた。近くのすべり台も小さくなった気がしてしまう。
 俺たちはまだ高校生でしかないが、それでも小学生の時からは時が経ってしまった。
 当時に思いを馳せる

 「ホントによく三人で遊んだよな」
 この公園には思い出が沢山ある。
 どこを見ても記憶が蘇る。

 「かくれんぼでキヨと言海のどっちも見つからなくて泣いたのが何回もあったなぁ……」
 耕輔が苦笑した。

 「それはお前が探すのがヘタクソだからだ」
 「ハハハ、いや、お前らが隠れるのうますぎんだよ」
 思い出話に二人で笑い合う。

 笑い合った後、耕輔は黙って空を見上げた。
 しばらくの間、沈黙が流れる。

 おそらく、今日呼び出された本題に入るのだろう。
 耕輔の対応からけして軽い話ではないハズだ。
 俺にできることは耕輔が口を開くのを待つことだけだろう。


 「……今日さ……」
 意を決したのか、耕輔が話だした。
 俺は耕輔へ顔を向ける。
 視線は返ってこない。
 耕輔は空を見上げたままだった。

 「……俺、言海に告白したんだ」

 今日、2人が居なかった理由がわかり、スッキリした。
 しかし、それだけ。
 衝撃は感じなかった。
 耕輔が言海をどう思っているのかは知っていたし、言海が耕輔をどんな風に思っているのかもよく知っている。

 だから、きっとその結末も知っている。


 「……振られたよ、俺には親友以上の感情はないって」
 耕輔が空を見上げたまま苦笑した。耕輔の声は少し震えていた。
 「…………」
 「……アイツは、お前が好きだってさ」

 耕輔が顔を戻し、真剣な表情でこちらを見つめる。
 耕輔の言う『ソレ』も俺は知っている。 
 耕輔にかわり、今度は俺が空を見上げた。

 言海の好意は昔から知っている。
 自分が言海をどう思っているのかも昔から変わらない。

 「…………」

 それでも俺は、耕輔に対し沈黙することしかできなかった。
 耕輔には申し訳ないと思うが、それでも俺は――――

 「……いいよ、別にキヨの返事が欲しかったワケじゃないんだ」

 俺が返事を出来ないことを、耕輔もきっと知っていた。
だから耕輔は沈黙を破り、口を開いた。

 「ただ、自分の中で整理したかったんだ。悪かったな、こんな夜中に急に呼び出して」
 「……別に構わないさ」
 俺が顔を耕輔に向けると耕輔は笑顔になっていた。
 耕輔がブランコを漕ぎ出す。

 「キヨ、ありがとな。 諦めはつかないかもしれないけど、お前に話したおかげでひとまず整理はつけれたぜ」

 どんどんブランコを加速させる。
 止まったままの俺と耕輔がすれ違う感覚が大きくなっていく。

 やがて、耕輔は勢いのあるブランコから飛び降りた。
 ブランコを置き去りにしてキレイに着地し、振り返って、俺を指差した。

 「いつかお前を超えてやる」

 主人公は口角を上げて、イタズラな笑みを見せた。
 そんな2枚目野郎に俺は同じように口角の上げた。

 
 「人を指さすなよ。失礼だろ」
 「カッコいいシーン台無しにすんな」

 どちらともなく笑いだした。

 隣の、無人になったブランコは未だに揺れていた。

 再び空を見上げた。
 空にはかろうじて星が見えた。

6/
 次の日。
 テスト期間は終わったがまだ週の半ばの為、学校だった。
 耕輔は特に変わった様子は無く(ただし、返却された数枚のテストに顔を青くしていたが)、いつも通りの様子だった。
 言海の方にも特に変化は無く、いつも通りの様子だった。
 もし、昨日耕輔に呼び出されていなければ、おそらく2人の間に何かあった事も気付かなかっただろうな、と2人の様子から思った。
 それぐらい、いつも通りの日常だった。

 今日の授業が終わり、教室がにわかに騒がしくなってきた。
 俺がイスに座ったまま、ボーっとしていると声が掛かった。
 「さて、さっさと帰ろう、キヨ」
 顔を向けると言海だった。
 「……ん? あぁ、帰るか」
 「うむ、帰ろう」
 言海が頷いたのを見てから、俺は机から鞄に筆記用具や教科書を詰めた。
 
 傾き始めた日の光が教室を照らしていた。


7/
 いつも通り言海を後ろに乗せて俺は自転車を漕ぎ出した。
 いつも通り校門を抜け、道路に出る。
 いつもと変わらない、いつも通りの光景。

 しかし、少しだけ普段とは違った。
 沈黙。
 既に学校を出て数分が経っているのに、会話がない。

 「…………」
 「…………」
 幸い気まずい沈黙、というワケではなかった。
 だからこそ、俺は沈黙に身を委ねた。
 街の雑音と自転車の進む音だけが耳に届く。


 「昨日……」
 河川敷へさしかかったところで言海があっさりと沈黙を破った。
 俺は「昨日」に続く言葉を予想しながらも、言海の言葉に耳を傾けた。

 「……昨日の放課後、耕輔に呼び出されてな……。告白されたんだ」
 それだけ言って、言海は俺の反応を待つように再び沈黙した。
 また数瞬の沈黙が生まれる。
 河川敷で遊ぶ小学生たちの声が聞こえる。
 言海はそれ以上口を開かない。

 沈黙の間に俺はどう反応すべきか、色々考えた末――
 「……知ってる」
 素直に返した。
 「……お前が耕輔に告白された事も、その耕輔を振った事も。 知ってる」
 俺が答えると、言海はゆっくりと俺の腰に手を回し、俺を軽く抱きしめた。
 「ふふ……そうか、知っていたか」
 どこから来る笑いなのか、言海は笑った。
 俺は、背中に密着している言海を気にしないように、ただ前を向いて自転車を進める。

 日の傾きはまだ浅く、河川敷を明るく照らしている。
 夏が過ぎ、暑さの引いた涼やかな気持ちのいい風が抜けていく。
 夏よりも遠くなった青空には薄く伸びた白い浮雲が浮いていた。


 「なんで、断ったんだ?」
 今度は俺が沈黙を破った。
 「ん? なにがだ?」
 「耕輔の告白だよ」
 理由なんかとっくにわかっている――
 「俺とアイツじゃ違い過ぎるだろ?アイツの方が数学も運動も出きるし、何より顔がいいだろ」
 わかっているが、それでも俺は――――

 「ふふふ、数学は関係ないだろう」
 言海が笑う。
 その振動が背中越しに伝わってくる。
 「というより、まぁ、全部関係ないな。だって――」
 言海が俺を抱きしめる力を少しだけ強くした。
 「――だって、私が好きになってしまったのはキヨだ」
 恥ずかしげも無く言海は言い切った。
 「気付けば……。 というヤツさ、仕方ないだろう?」
 言海は自信満々に口角を上げているだろう。
 後ろをみなくても容易に想像できる。

 言海のコレは告白ではない。
 俺達の関係は、少なくとも今は、そんな関係じゃない。
 そして、俺達はそんな関係を少なくとも今は、望んじゃいないのだ。

 だからこそ――
 「……そうか」
 軽いため息を吐いた後、話題を流すように俺は相槌をうった。

 俺と言海はこのまましばらくは親友のような関係なのだと思う。
 俺と言海の変化のないこの関係は勇気を出して告白した耕輔に悪いとは思う。
 悪いと思いはするが、俺も言海も別にそういう関係になりたいのとは少し違う気がするのだ。
 少なくとも今は。
 だから、唐突に悪い方向にも良い方向にも転ぶかもしれないこの関係で、昔から変わらないこの関係で、俺達は少しずつ大人になっていくのだろう。

 しばらくは、この青い生活を続けて――――

                                完

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